50代の女性患者。片頭痛の治療において、真武湯の加減方を投与し、痛みは順調に消失していた。もともとこの患者には「寒」があり、寒がりな体質であったため、真武湯の加減が非常によく適合していたのである。
ところが、梅雨に入り本格的な夏が始まりかけた頃、急にこれまでの処方が効かなくなった。手を尽くして何度か加減を変えてみたものの、どうもピントが合わない。
そこで、やむを得ずというのも変だが、改めて腹証を取り直すことにした。初診時に診た腹証にはほとんど特徴がなく、これまであまり重要視していなかったのである。
心下の圧痛が示す病態の急変
久しぶりに診た腹証は、初診時とはまるっきり違っていた。
第一から第三心下にかけて痰飲が溜まっており、心下を上方向に押し上げるように按圧すると、明確な圧痛が確認できたのである。
まさに、小陥胸湯の証が出現していた。
これはしまった、ともっと早く腹診をしておくべきだったと悔やまれた。小陥胸湯証の部分に関してはそのまま処方すればよいのだが、問題は「心下から胃に停滞した痰飲をどのように去るか」である。
本来「寒」をベースに持つ患者が、夏という季節の変動によって、湿熱を中焦に溜め込んでしまった状態である。ただし、明らかな呼吸器症状も消化器症状も診られないため、温病というほど深く進行しているわけではない。
「温病」の知識がもたらした土壇場の迷い
ここで処方構築における最大の葛藤が生じた。果たして、藿香まで使うべきかどうかである。
正直に言えば、私は土壇場で勇気が出ず、藿香の使用を踏みとどまってしまった。
その最大の理由は、直近で温病について色々と深く勉強していたことにある。温病のような明確な熱象や症状がない段階で藿香を使ってよいものか、逆に得た知識に押しつぶされてしまった感覚がある。
しかし、冷静に病態を振り返れば、藿香は中焦の湿濁を化すのに極めて有効である。「辛開苦降」の観点から中焦の気機を整えることを考えれば、やはり藿香は入れるべきだったと今になって思う。臨床の現場では、時として新しい知識が目の前の処方決定を躊躇させるトラップになることがあるのだ。
次の一手と、藿香を加えた処方予習
今回は結果として、藿香抜きの処方で対応した。
近日中に早めの再診を組んでいるため、これで病状が改善に向かっていれば、まずはこのままの処方で押していくつもりである。
もし改善が見られなければ、迷いを捨てて藿香を加え、以下の構成で処方を組む。
栝楼仁、栝楼根、黄連、半夏、生姜、茯苓、厚朴、陳皮、藿香
季節の変わり目は、ベースの体質(寒)の上に、季節性の邪(湿熱)が重なることで、思わぬ証の変化を引き起こす。固定観念を捨てて指先で腹証を捉えることの重要性と、自身の知識と実践を統合させることの難しさを、改めて痛感させられた一例である。



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