その人は立っていた。
80歳(推定)の女性である。杖道の青い道着をまとい、型を成り立たせるべく、フラフラと揺れながらも立っていた。
私は杖道の型通り、十分に気合いを込めて打ち込んでいく。相手に過度な打撃を与えぬよう配慮しつつも、手加減はしない。
静止することができず、その身はふらりと動く。
2年ほど前より原因不明の神経疾患により、下肢の筋力は低下していた。実はまともに歩くのもやっとなのだ。それでも、彼女は必死に稽古へ参加し続けている。
私が入門したての頃、姿勢、向き、歩幅、手の形まで、あの精密な動きで私を導いてくれた。本当に口うるさく、しかし実直に基本を叩き込んでくれた、あの頃の記憶が蘇る。
私が打ち込むと、よろよろと杖先の方へ、つまり前に倒れ込みそうになる。危うく顔面に杖が当たりそうになり、私は素早く杖を引いて体勢を戻した。
転倒しそうになったら即座に支える。そのための「間合い」を常に計りながら、私は打ち込み続けた。
八相(はっそう)に構える姿も心許ない。自ら構えているはずなのに、後ろへ倒れそうになっている。
(もういい。先生、もういいのではないですか?)
心の声が漏れる。その稽古に意味はあるのか。無駄ではないか。論理的に成り立っていない。
杖道は実は杖術の簡易版だ、あるいは実戦で使えない型武道、じじばばがやる武道ダンスだとからかう向きもある。
勝手に言わせておけばいい。
しかし、そんな雑音を突き放すように、先生は八相の構えで静止しようと震えながら、私の目を睨み、必死に打ち込んでくる。
こんなに真剣に打ち込めることに、価値がないわけがあろうか。
意味を考えることなど、傲慢だ。勝手に言ってろ。
ただ、その「立っている」という意志に圧倒され、私は深く感動するしかなかった。これこそが、修行者の終極の姿なのだと、私は目の前の先生のお姿から教わったのである。


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