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【独学大全】認知資源と記憶を基盤とした学習の必要性

雑記

 資源節約スローガンは、SDGs(愚かしいかどうかはさておき)が叫ばれてもはや一般化されていると言って良いだろう。しかし認知資源はおざなりになっている。いやそれどころか意識されるどころかあえて遠くへ押しやるような同調圧力を感じるほどだ。

 覚えなくて良い。ネットなどで調べれば良いという風潮はとりもなおさず検索する時間労力が伴う。検索ワードを検討したりもするだろ。そう考えると認知資源を使いまくっているわけだ。逆に記憶しておけばそういった労力は大幅にはぶかれ認知資源の節約に寄与する。つまり時間も労力も少なくて済む。

 ところで認知資源とは独学大全における二重過程説におけるシステム2、即ち合理的、分析的行動を起こす上での時間や体力などを含めた貯蔵エネルギー概念だ。ちなみにシステム1は直感的、ヒューリステックな行動で低労力で行われるのでほぼ意識する必然性はない。

 最初私はなるほど最近の奴らはと笑っていた。しかししばらく思索に耽るうち、私こそ浪費していたとつくづく思えてきた。

 私はご多分に漏れず記憶力が悪い。悪い故、これまで知りたいこと、というより知っていることを手早く想起できるようにスマホなどを配置してきた。そういえば以前は手書きのメモ帳だったので結構大変だった。その意識は今日も続いていて、先日新しく導入したScrapboxも知らずにそのような方向性を期待して関連本を読みはじめたものだった。

 私にとって学生時代の試験勉強は苦行そのものだった。当時独学大全がなかったのだからしょうが無い。それ故か、純粋な記憶行為からはずっと離れていたと思う。いや近年では何かを想起しながら繰り返しいうるちに、記憶術などを使わずともいつの間にか覚えてしまいう。臨床の現場こそ記憶するチカラと思ってやまない。

 というのも、このやり方で漢方の師匠に、お前は漢方の習得が早いと言われたのだった。他人をめったに褒めないその方の褒め言葉は舞い上がるほど嬉しかった。しかしそれと同時に当時の漢方学習の方法を固定化する一種の呪いのようにも作用してしまった。

 あれかから15年以上経った。独学大全を読んで、まさに今の私こそ枯れそうな認知資源を節約をしなくてはならないと思えた。そうだ。まだまだ労力を節約してスピードアップしてより多くのことができる!

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