「入院します」
そうFacebookに言い残し、元上司が連絡を絶ってから数ヶ月が経過した。いや、事件とかではない。ずい分前に職場が変わった後、私との主な連絡手段はFacebookのメッセージのみになっていた。だから年が明けてから時節の挨拶などを送ってみたものの、あらら、返信がないなと思っていた。ただ直接の連絡こそなかったが、同じ法人のよしみで、どこかで入院が継続していることだけは伝え聞いていた。いや実際はどうなっているのか知るのが怖かった。だからか積極的に情報集はしていなかった。先延ばしにしていた。ちなみに元上司が勤める病院のスタッフ一覧には、未だその名前が残されたままである。
彼は私にとって、非常に恩のある人物だ。
勤務先の病院で医師数が極端に少なく過酷だった頃、同じ内科医として病院を文字通り盛り上げてきた戦友とも言える。普通ならば入院を断るような困難なケースでも、行き先がない患者さんを決して見捨てず、受け入れていく人だった。それは患者さんにとってはもちろん、結果的に病院運営にとっても非常に良いあり方だった。彼から学んだその精神は、私、そして病院の根底に今も生き、その流れを踏襲し続けている。職場が変わった後も度々定期購読している本を読後私に送ってきてくれたりしていた。時折ともに飲みに繰り出すこともあり、公私にわたりどれほど世話になったか計り知れない。
先日、ひょんなことから、看護師を通じて元上司の現在の状況を知ることとなった。
「長期療養が必要な体になっておられる」
と聞かされてた。その事実の重みにいてもたってもいられず、私は見舞いに駆けつけた次第だ。
病室で再会した彼は、全介助の状態となっていた。声を発することもできない。
しかし、その目力はかつてのままである。意思疎通は文字盤のボードを使い、思いのほかテンポ良く言葉を紡いでくれた。
彼が伝えてくれた言葉は、「あ・り・か(が)・と・う」だった。
交わした握手。その手は、ひどく温かかった。
その瞬間、私の視界は急に霞んだ。次いで熱いものが込み上げてきそうになるのを、必死に堪える。気の利いた言葉を発する余裕など全くなく、ただ感情が高ぶるのを抑えるので精一杯だった。
「また、参ります」
なんとかその一言だけを絞り出す。マスクをしてきて本当に良かった。私の表情を、彼に悟られずに済んだのだから。たぶん。
帰り道、私はひとつの強い思いに囚われていた。
実のところ、私はこれまで「胃瘻(いろう)」という選択があまり好きではなかった。口から食べられなくなったら、それは人間としてのひとつの「お終い」なのだと思っていたからだ。
しかし、病床の元上司を見て、その考えは必ずしも正しくはないのだと思えた。
ただただ、生きていて欲しい。生きてくれていて、本当に良かったと、心底思ったのだ。
「食べられなくなったら胃瘻にすればいい」と安易に決めるのも違う。逆に「胃瘻は絶対に良くない」と決めつけるのも間違っているのだろう。結局のところ、それは本人と家族の思いで決めるべきことなのだ。
そして、胃瘻になったからといってすべてが終わるわけではない。その後も、その人の人生は確かに続いていく。
与えられた状況のなかで、尊厳を持ってどのように生きていけるのか。それこそが最も大切なのだと、先ほど、温かい手を両手で包みながら私は再認識していた。


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