- 絶望的な単純作業 現在、Obsidianに貯め込んだ「永久保存メモ」を、Googleドキュメントへ一枚ずつ移す作業を行っている。 当然ながら、マークダウン形式のObsidianとGoogleドキュメントでは仕様が違う。リンクの記法も違う。 右から左へ、Ctrl+C、Ctrl+Vで終わり、というわけにはいかない。 手作業で整形し、リンクを張り直す必要がある。 正直、最初は思った。「ああ、なんと面倒なことか」と。これは数年かかっても終わらないのではないか、と。
- 過去の自分との再会 しかし、数枚作業を進めたところで手が止まった。「待てよ」と。 画面に映っているのは、過去の自分が一度書き記した内容だ。他人の文章の写経ではない。自分の思考の軌跡だ。 読み返すと、当時の思考が生々しく蘇る。それどころか、「今」の視点で読むことで、再び強烈な興味が湧いてくる。
「あ、この表現は少し違うな」 「このリンクは、こっちのノートに繋げたほうが文脈が通るな」 「引用元が不十分だ。もう少し信頼できるソースを当たり直そう」
- 「不便」が思考を加速させる 気がつけば、私は単なるデータ移行の手を止め、リライト(書き直し)に没頭していた。 仕様が違うから、コピペができない。 コピペができないから、読み直さざるを得ない。 読み直すから、修正し、磨き上げ、より強固なネットワークへと編み直すことができる。
もし、ワンクリックで移行できるツールがあったらどうだろう? 私は思考停止のまま、ゴミをゴミのまま新しい倉庫へ移していただろう。 「遠回り」をしているのではない。 この振り返りのプロセス、情報の再評価と再結合のプロセスこそが、Zettelkastenの本質なのだ。
- 終わらない旅への予感 そう気づいてからは、遅々として進まぬObsidianからGoogleドキュメントへの移行も、苦行ではなくなった。むしろ、過去の自分と対話する豊かな時間へと変わった。
ただ、一つだけ新たな不安、いや、予感がある。 今こうして修正し、Google Driveへ移したファイルも、数ヶ月後の自分が見たらどう思うだろうか。 「またきっちり見直して、修正したくなるんだろうな」 そう思う自分がいる。 そしておそらく、それこそが正解なのだ。Zettelkastenは、永遠に完成しない。ただ、成長し続けるだけなのだから。


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