バレットジャーナルを始めて
バレットジャーナルを始めて半年。ノートは3冊目の半分以上まで来た。
ご存知の方もいらっしゃると思うが、TODOはバレッドと言われる「・」で示される。終わると×。やれないと「>」とマークされる。「>」とマークされた項目は次の日程に再度書き込まれる仕組みがある。再度書き込まれることをイミグレーションという。
イミグレーションはいやでも目に付く。だいたい書くし。書いているうちに現実的ではないと感じた場合、分解した別々のTODOにしたり、変更する。そもそも辞めたら二重線で項目そのものを消す。勿論それはイミグレーションしない。
バレットジャーナルから消えたTODO
私の手からこぼれ落ちていったTODO達。思いつきではあったものの、現実的に不要である、あるいは不可能、他に優先事項があったなどということで消えて行ったわけだ。例えば風姿花伝(世阿弥著)が読みたいと思ってもいや、他に読みたいものがいっぱいあるし、調べ物があるし、消えて行く。私はそもそも落合陽一の著書を通じて風姿花伝を読みたくなった。別に私は能はよく知らないし、芸人ではない。しかし直感的に、常に問題意識として持ち続けている東洋医学の主観的な切診の教授ほうについて何かヒントになるのではないかと思えた。でも結局優先順位は低い。次から次へと来る新規TODOの方を優先してしまう。
消されるべきTODOなのか
正しい?間違い?それを判断するのは、容易ではない。しなかった場合は永遠に分からない。だって何を得たか、あるいは得られなかったかは分からないのだから、判断しようがない。しなかったことを正当化するためあの実は酸っぱかったはずだ!っと童話風に根拠もない捨て台詞を吐くだけだ。その一方でした場合ならば可否は分かる。でも優先順位の壁はとても厚く、高くそびえている。遠く仰ぐその高い壁に青いそらにくっきりした複数の雲が整然とした空中船のように一方向にながれるのがみえるほどに。
私だってやりたかった。でも言い訳ばかりが先に立った。そうしているうちにまるで指の間からさらさら落ちる遠浅の海岸の滑らかな砂のように消えて行ってしまった。落ちてしまった後は形は残らないように、何がしたかったかという記憶も消えて行った。しかし、だ。バレットジャーナルはそんな消えて行ったTODOたちがちゃんと二重線の下に記述されていたのだ。上の世阿弥もそうだ。見返すとああ、これやっても良かったかもと、思い出されてくるのだった。
TODOがもう消えないようにTaskmaへ回帰
では、同じように再度バレットジャーナルにのせればやれるのか。いや無理だろう。なら今使っているスケジューラーに組み込めばできるのか?それも無理だった。何故なら優先順位が低いためどこに予定したらいいか途方に暮れてしまうのであった。
そこで、Taskmaに再登場願った。Taskumaはタスクシュート理論に基づいたタスク管理を行うためのiPhone、Apple Watchアプリ。ライフログの側面を持ち、その結果からTODOが校正していく。やった記録がEvernoteへストックされていくのだ。なんとも特殊だ。当初の私は本当にハマり、Apple Watchの中央に鎮座させたほどだった。ただ、ライフログが面倒すぎて辞めた。その意義も理解出来なくなってしまった。というのもあるときに毎朝7時頃、ウンコが出たかどうか、性状がどうだとかしかまともにログが残っていなくて愕然とした。ウンコログは不要だなと思アプリを消したのだった。
これからのTaskmaの扱い
Taskmaを使う。それはタスク管理のためといえばその通りだが、TODOとして使うつもりはない。いやTODOアプリとしては全く使わない分けではない。あくまでもライフログとして使う。でもウンコログではない。優先順位が低い、ともすれば消えそうなTODOをどうにかTaskmaでカタチあるものにできるようにしていこうとしている。それが砂上の楼閣になっても良い。そもそもさらさらした砂のような扱いであったTODOたちであったから。
まずはTaskmaを使いながらやり方を思い出そう。
コメント