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【杖道】無様な自分の姿が新しい気付きへ

杖道

  ある休日の朝、杖を操る自分の姿を大きな鏡の中で見て、ため息を吐いた。あまりにも隙だらけである。動きの気配も相手に漏れている。私が以前到達できた「消える動き」などという状態とは、次元が違う。武術とはかけ離れている。確かにそれでもいい、武術はもう辞めたのだと言い聞かせて過ごしてきたではないか。では何のために私はやっているのだろうかと、いつものように自嘲する。

  最近は、打った後や突いた後にできるだけ素早く構えに戻すことで、より実戦的な動きにしようと、ここ二週間ほど稽古していた。杖の手の内の操作や、素早く構えに戻す稽古を自宅で行っていたのだ。

  改めて鏡で、その素早く動かして構えに戻す動作をまじまじと見た。思えば、鏡でその動作を確認するのは初めてであった。そして、吹き出すというより呆れてしまった。不格好に構えを戻すおじさんが、そこに映っていたからである。

  打撃した後に素早く構えに戻す。相手を制しようとするその意図や方針自体は間違っていない。しかし、何か変である。戻そうと躍起になって慌ただしく操作する不格好さは、まるで古武術を始めた頃の、力みがありありと見える素人のそれであった。

  そこで、ふと太刀を持ち、以前古武術で学んだ抜刀の動作を数回、座して行ってみた。久しぶりに、武術と呼べる動きを鏡の中に見た。ああ、こういう動作は忘れないものだなと感じた。

  太刀を腕では抜かず、体捌きで抜く。そうだった。そうすることで、動作から漏れる気配が減じていくのだ。ふと立ち上がり、杖でも試してみることにした。つまり、杖を引く動作を体捌き、すなわち体幹部の動作とし、腕はそれに沿わせるだけにする。手の内の操作は当然行う。

  実際にやってみると、体の中に幾つもの滞りを感じる。手の内の動作がタイミングを外している。ただ、その不格好さ、格好悪さはやはり相変わらずである。しかしそれは、別の意味で救いのある動きであった。動きの気配の漏れが、少しだけ減じていたのである。

 「はいはい、ちゃんと素早く構えていますよ」と昇段審査でアピールしようとするような状態から、「あれ? いつの間にか構えているぞ」という不気味な状態になるのが、より良いのだなと、鏡の中の私に呟いた。

  だからこそ、腕の動きで杖を扱うことはなるべく避けるべきなのだ。抜刀術のように、腕で抜くのではなく体捌きで引く。腕で動かそうとすれば、たちまちタイミングがずれ、そこに力みが生じる。結果として気配が大きく漏れ、ド素人のような不格好な動きに成り下がってしまう。

  鏡の前での泥臭い試行錯誤は続くが、体幹主導の動作を意識し、腕の力みを手放すこと。それが「消える動き」に少し近づく、確かな一歩になるはずである。

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