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杖道は「極意を見抜け」と問うているのか

杖道

敵の攻撃をいかにして捌くか。

これは古今東西、あらゆる武術・武道における共通の命題である。

その普遍的な解の一つとして、「そこに居ると見せかけて、実は既に居ない」という身体操作がある。

打太刀が「勝った」と確信した刹那、すでにその場は空(くう)となり、攻撃は空を切る。そうした極意とも呼べる杖の技術は、一体どこにあるのか。

私はこれまで、杖道の技の中に潜むその理合(りあい)を、まるで宝探しでもするかのように探し求めてきた。

そして最近、ある驚くべき事実に思い至った。

なんと、ほとんどの形(かた)が、この高度な技術を内包していたのである。漫然と稽古するな、この型を意識しろと主張するように、そっと存在している。

そう、具体例を挙げれば枚挙にいとまがない。

着杖(つきづえ)、水月(すいげつ)、引提(ひっさげ)、斜面(しゃめん)、左貫(さかん)、物見(ものみ)、霞(かすみ)、太刀落(たちおとし)、そして雷打(らいうち)。

これら全てに、一瞬の機微で生死を分かつ体捌きが含まれている。

一方で、正眼(せいがん)、乱留(みだれどめ)、乱合(らんあい)に関しては、未だその核心を捉えきれていない。これらの技における「居て、居ない」の理は、どこに隠されているのかは今のところ私には届いていない。

それにしてもなんという奥深さであろうか。

杖道の道には、まだまだ味わい尽くせぬ未知の領域が広がっているようである。

 

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