これまで経方医学は幾度も読んだつもりだった。また師匠の指示と指導で傷寒雑病論を高速で何度も通読した。最高速度は傷寒論一日、金匱要略は2日で通読できた。その度ごとに書込メモは増えていきった。一方本はというと耐えられないようで、乱丁して、ぼろぼろになっていった。手に持つのも辛くなった段階で新品にして、それまでのメモをに書き入れた。これはここ10年以上の私の習慣である。因みに師匠はというと、講演会に向かう新幹線の中で全ページ通読するというのだからその凄まじいスピードに私には遠く及ばない。
解説書も興味深い書籍は一度は読んでいる。忘却との戦いのためか、まだまだ深い理解には及ばない。その理由が何処にあるかもおぼろげであった。今回の輔行訣はそのおぼろげであったことが少しだけ氷解するきっかけを与えてくれた。
まさに、丁寧に学ぶ。経方医学を輔行訣から見直したことで、私が普段使用しない部分を中心に、蔑ろにしていた理論が浮き彫りにされたのだった。
例えば、胸から(肺ではない)心包への気津の供給があったことは完全に見落としていた。経方医学には確かに記載しているのだ。しかし記載していても私はちゃんと見れてない。まるでスコトーマだ。確かに診療上漢方を使っての差し迫ったことがないのでリアリティがなかったのだろう。しかし全てはいいわけでしかない。
この数ヶ月経方医学と輔行訣の間を幾度となく往復した。輔行訣つまり湯液経の方剤の解釈。これは輔行訣のみで傷寒論金匱要略では採用されていない方剤か。近い方剤はないか。適応は経方医学との相違はどうか等々。
経方医学で輔行訣を読み解く作業は経方医学を深く学ぶことに繋がった。
輔行訣を経方医学で読み解く本はこの世に存在しない。このブログだけだ。だから私は輔行訣を調べたいときこのブログを再度開き、参考にして、必要に応じて更新していこうと思う。
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