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輔行訣(ほこうけつ)の経方解説は簡単ではない

漢方医学

 輔行訣(ほこうけつ)とは陶弘景が道教の修行ので入山の時に持ち込んだ、湯液経(360処方)から引用した処方集である。その数60処方。竹簡だと荷物になるだろうから、全部持っていかなかったんだな。一方傷寒金匱は湯液経から編者の張仲景が方剤を引用し自分なりの適応方法や加減した配薬を連ねた処方集。ということで方剤の引用元に関しては源流は同じといえる。

 輔行訣について特筆すべきことは2つある。一つは発見時期、もう一つは傷寒金匱と比較して原本に近いあるいはそのままということである。

 発見が1900年台。つい最近だ。湯液経が消失してからその姿は傷寒金匱を通してでしかうかがい知ることが出来なかった。歴代の古代の医師特に経方医を名乗る者たちがああでもないこうでもないと議論して作られて来た古医学。その答え合わせとも言うべき内容が、全容はないものの現れたわけだ。
 つまり恐らく1500年以上だれも検証すらできなかった湯液経の片鱗が1900年を境に可能となったということだ。私にとっては傷寒金匱の、ひいては経方医学の源流の一部を知ることが出来ることを意味する。
 そしてもう一つは、原典そのものということ。というのは傷寒金匱に引用する際、張仲景は方剤名を変え、配薬も変え、六経弁証を導入した。一方輔行訣は五行理論中心だ。こう言っては何だが、漢方に五行を当てはめて全て説明し尽くすのは、ヘ理屈ならば別だけど、できない。だから傷寒金匱は湯液経そのものではない。傷寒金匱に採用された配薬は張仲景新たな適応と加減の1方つであるのだ。
 これまで私は輔行訣の方剤を経方医学で解釈いつも挫折している。あまり興味も無かったというのがそのもっともな理由であろう。それに60処方だしそのうち誰かやってそれを日本語訳してもらってそれを読めば良いかとも思っていた。でもいつまでたっても出版されない。
 
 では、今私は何がしたいのか。

 臨床に生かす情報を抜き出したい。

 そもそも私は医史学者ではない。医史学については優秀な方々を存じ挙げているのでそこはお任せしたい。ご著書を私がリタイアした後日本語でゆっくりと読ませてもらう。
 私が気になるのは、湯液経が傷寒金匱に引用される時、当時あまりにも既知で省いた内容が実は残ってはいないか。経方医学で説明できるのか、である。これらを通じて新しい配薬のコツを得たいのだ。別の言い方をすれば私の臨床に役立たないのならばその理由を知っておきたい。
 だから最初の1処方目の手順はこうしよう。
 方剤名、条文、適応。傷寒金匱で近そうな名前、経方図を作って見よう。 

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