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私は道場、同情はいらない。

雑記

私は道場。

とある田舎の一戸建て住宅の中にある。

いつの間にかそこそこ中年になった。

私が誕生して20年くらいが過ぎた。

道場と言っても、そんなに大した広さではない。

17畳程度。そんなもの。

しかし天井は高く床は踏み抜かれないようにこだわりの作りにしてある。

ちゃんと神棚まで用意してある。

一人稽古するには充分すぎる大きさだ。

最初、この家の家主は空手と沖縄古武道をしていた。その為、先生から大きな鏡をプレゼントされ、それを壁にはめこんだ。

抜き手の巻藁が設置され多くの武器が用意された。

あの頃私は家主の鍛錬を神棚と共に毎日見守っていた。

そのうち、しばらくすると、明らかに違う鍛錬を始めた。なんだろう。不思議な形だった。棒術も変わっていった。袋竹刀まで登場した。何でも東北の古武術だったらしい。

家主は抜き手の鍛錬はもう、しなくなった。空手の練習はしていないようであった。

でも心なしか家主は楽しそうだった。そのうち何人かの人たちが集まって稽古したりもした。

永遠とも思えた楽しい稽古。

しかしそんな毎日は長くはつづかなかった。

家主は忽然と消えた。

残されたのは道場を使わない家主の両親だけだった。

だから稽古のために道場に灯りが灯されることはその後しばらくなかった。

しばらくすると次第に訳のわからない荷物や机、紙の束が積もった。

家主の父は巨大な書斎を得た。

そうして私はゴミ屋敷になった。

家主はふらりと時折戻ってきた。

戻るたびにゴミ屋敷を掃除するようにと抗議していた。

結局、ゴミ屋敷であることを貫いた家主の父がこの世を去った後、長い時間をかけてゴミ屋敷は撤去された。

ゴミ屋敷ではなくなったが、いつも何かの荷物が置いてあった。

私は道場としては活用されなくなった。

家主の母親がたま来て掃除したりしてくれた。

家主はというと、たまに別宅からやってきて、古武術の不思議な型を鏡の前で懐かしそうになぞっているだけだった。

最近、そうしてまた、荷物が運び込まれた。

特に捨てる日付も決まっていない、燃えるゴミの一時的な保管場所とのことだった。

家主に無断で家主の母が積み上げ始めた。

この燃えるゴミの束は見覚えがある。

そうだ。

ゴミ屋敷の始まりは燃えるゴミ束であった。

ああ、また私はゴミ屋敷になるのか。

でも、私は道場。同情はいらない。

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