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Google Drive化の試み(その6)——そのメモの「主語」は誰だ? 引用と意見の決定的境界

Zettelkasten
  1. 移行作業が止まった理由

ObsidianからGoogle Driveへの「永久保存メモ」の移植作業が、突然ストップした。

システム的な問題ではない。色々と推敲しているうちに、ある重大な欠陥に気づいてしまったからだ。

これまで私が「永久保存メモ(Permanent Notes)」と名付け、せっせと書き溜めていたカードたち。それらを見返したとき、愕然とした。

そこには、私の意見がなかったのだ。

  1. 永久保存メモの皮を被った「引用」

Obsidianでの構築に挫折した理由はいくつかあった。ナンバリングの煩雑さ、文献管理の面倒さ、アプリの不具合。しかし、真因はそこではなかった。

根本的な原因は、「引用文献メモ(Literature Notes)」と「永久保存メモ(Permanent Notes)」がごちゃ混ぜになっていたことにある。

「〇〇という文献にはこう書いてある」

私はそれを自分の言葉で要約し、永久保存メモとして保存していたつもりだった。しかし、それは単なる「要約」であり、結局のところ他人の言葉のコピーに過ぎない。

「引用」の皮を被っただけのメモ。それをいくら4,000枚集めたところで、それは私の知識ではない。他人の知識のスクラップブックだ。

  1. ルーマンの問い:「お前の意見は何か」

目の前にあるメモの山が、私にこう問いかけてくる。

「引用文献の内容は分かった。で、お前は何が知りたかったんだ? お前は何を得たんだ? お前の意見はどこにある?」

ルーマンは1日に6つの永久保存メモを生み出したという。単に書き写すだけなら簡単だが、そこに「自分の洞察」を含めるとなれば、その数字の重みが変わってくる。

ある事象にアンテナを張り、情報を調べ、驚き(Irritation)を得る。その「驚き」を自分の中に落とし込み、解釈として定着させる。ここまでやって初めて、それは「永久保存メモ」になる。

  1. 判別基準:その文の「主語」は誰か

どうすれば、この「ごちゃ混ぜ」を解消できるか。

論文を書くときの作法を思い出せばいい。答えはシンプルだ。「そのファイルの主語は誰か」を意識することだ。

私は新たな仕分けルールを策定した。

  • 他人の意見(Literature Note):主語は「著者」
  • 文末:「~と書かれている」「~とのこと」「~らしい」
  • 役割:事実の確認、ソースの提示。
  • 自分の知識(Permanent Note):主語は「私」
  • 文末:「~である」「~と考える」「~と解釈する」「~を採用する」
  • 役割:概念の定義、議論の展開、結論。
  1. 結論:再構築の旅へ

「〜らしい」で終わっているメモは、永久保存メモの箱には入れない。それはまだ素材(Literature Note)の段階だ。

それを読み込み、「つまり、私にとっては〜である」と言い切れる形に昇華できたものだけを、Google Driveの深淵へと送り込む。

この気づきにより、Obsidianからの単純な「引越し」は中断された。代わりに、過去の自分との「対話」と「仕分け」が始まった。

時間はかかるだろう。だが、ここを通らずして、思考のパートナーなど作れるはずがないのだ。

 

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