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輔行訣各バージョン覚え書きその7

漢方医学

前回に引き続き、13個目の輔行訣のバージョンの日本語意訳を覚え書きとしてここに記す。全14バージョンある。

十三、『輔行訣』周連森(しゅう れんしん)による写本(1966年2月の内容、1989年秋に転写)

この文書は、縦約19.9cm、横約15.1cmで、横書きで写されています。各ページには14行あり、1行あたり約23字で、字数は一定ではありません。書体は整っています。表紙を除くと、本文は29ページです。表紙には「丙午年春(1966年春)」という時期の記載と、写筆者「周溥」の2つの印章があります。

写本の最終ページには、以下の2つの記述があります。

「時は一九六五年旧暦十二月二十六日、師の写本を完了した。師は言った、『この書は、私の曽祖父が湖北省で軍の職務に就いていた際、敦煌へ馬を買いに行った時に手に入れたもので、四代にわたって大切に保管されてきた、失われた秘書である。この写本を大切にし、失うことのないように。前にある五臓の病症と治療法は、暗記するのがよい。心に留めておきなさい、心に留めておきなさい!』。六六年二月、南鎮村にて。」

この写本は、周連淼(しゅう れんびょう)氏が1989年秋に、張大昌(ちょう だいしょう)の弟子の誰かから提供されたものに基づいて筆写したものです。

この写本は、范志良(はん しりょう)の第二次写本と類似していますが、周連淼は細部にわたって手を加え、より完成度を高めました。例えば、「大瀉腎湯」には元々の「上の方に○○の薬を加える」という形式が残されていますが、その他の処方では、少量の薬と同じ薬味が補足されています。

この写本には、薬物の五味・五行の相互関係を調整したとされる表が1枚挟み込まれています。この表は、『張大昌が注釈した輔行訣』周連淼写本や、『張大昌が注釈した輔行訣』劉徳興(りゅう とくこう)所蔵写本の関連箇所にも見られますが、『張大昌が注釈した輔行訣』衣之鏢(い しひょう)写本には見られません。

コメント:周連淼氏の豊富な知識と臨床経験から輔行訣がさらに高い完成度を持って受け継がれていると推察される。湯液経の加減方の1つとしてならば価値がある。

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