うだるような暑さが一息つき、東北では最近涼しくなってきた。これからまた暑くなってくるだろうからその準備のようなものだ。そこでエキス剤ではなかなか処方できない藿香について見直しておく。
日本の夏における「夏バテ」や「暑さによる体調不良」は、単なる高温による消耗、すなわち熱中症(陽暑)として一括りに捉えられがちである。その一方で臨床現場で散見される症状に、この古典的な理解とは異なる病態を呈する場合がある。その核心にあるのが「陰暑」という概念である 。
「陽暑」が炎天下での長時間労働など、純粋な熱邪によって引き起こされる高熱、多汗、口渇といった症状を特徴とするのに対し、「陰暑」は現代的な生活習慣が深く関与する病態である 1。夏季における冷房の過度な使用、冷たい飲食物の大量摂取は、体表や消化器系を直接的に冷却し、外部の高温環境とは裏腹に、体内に「寒邪」や「湿邪」を招き入れる 。この結果生じるのが、悪寒、発熱(ただし無汗または汗が少ない)、頭痛、身体の重だるさ、そして悪心、嘔吐、下痢といった消化器症状を伴う、いわば「夏風邪」や「胃腸型感冒」であり、これが「陰暑」の典型的な姿である。
この病態形成において中心的な役割を果たすのが「湿邪」である。日本の夏は高温多湿であり、この「外湿」が体内に侵入しやすい環境にある。加えて、冷たいものの過食は消化器、特に「脾胃」の機能を低下させ、体内の水分代謝を滞らせることで「内湿」を生じさせる 。内外の湿邪が結びつくと、気の流れが阻害され、胃脾の運化機能は失調し、倦怠感、食欲不振、腹部膨満感といった夏バテ特有の症状が顕著になる。
したがって、現代の夏バテ治療においては、「陽暑」と「陰暑」を明確に鑑別し、後者の「寒湿」という病理を正確に捉えることが極めて重要となる。この「陰暑」という病態に卓効のが藿香」ということになる。
藿香を主薬とする代表処方「藿香正気散」の構成と作用機序から、藿香そのものの加減の扱いについて検討したい。
藿香は、夏の不調、特に湿邪が関与する消化器症状に対して古くから用いられてきた重要な生薬である。その臨床応用を理解するためには、まず生薬としての基本特性を把握する必要がある。
藿香は芳香化湿薬で類似した経方の生薬は少なくとも私には見当たらない。よって単味での代替薬の配薬は難しい。
いわゆる中医学の理論に基づき整理すると以下の通りである。
- 性味(せいみ): 辛、微温。辛味は発散・行気の作用を持ち、体表の邪気を発散させ、体内の気の巡りを促進する。微温という性質は、体を温めも冷やしもしすぎず、穏やかに寒湿の邪を除く働きを示す 。
- 帰経(きけい): 肺、脾、胃(経方医学では帰経理論を否定)。
- 効能(こうのう):
- 発表解暑(はっぴょうげしょ): 体表に作用して発散させ、夏の暑邪を取り除く。特に湿を伴う暑邪に有効である。
- 化湿止嘔(かしつしおう): 脾胃に停滞した湿邪を取り除き、それによって引き起こされる悪心や嘔吐を止める。
- 行気止痛(こうきしつう): 気の巡りを良くし、気滞による腹痛などの痛みを和らげる。
これらの効能から、藿香は体表に侵入した邪(外感)と、体内に停滞した湿(内傷)の両方に対応できる、表裏の邪を同時に解決する能力を持つ生薬であることがわかる。
そして方剤としての代表格は藿香正気散(太平恵民和剤局方)である。
藿香正気散は藿香、甘草、生姜、大棗、半夏、陳皮、白朮、茯苓、白芷、桔梗、蘇葉、厚朴、大腹皮の13種類の生薬から構成される。
元々の条文を見てみよう。
『太平恵民和剤局方』巻之二・治一切気門
藿香正気散
【原文】
「治傷寒頭疼,憎寒壮熱,上喘咳嗽,五労七傷,八般風痰,五般膈気,心腹冷痛,反胃嘔悪,気瀉霍乱,臓腑虚鳴,小嵐瘴虐,遍身虚腫:婦人産前,産後 血気刺痛,小児疳傷 并宜治之」
【読み下し文】
「傷寒(しょうかん)の頭疼(ずとう)、憎寒壮熱(ぞうかんそうねつ)、上喘咳嗽(じょうぜんがいそう)、五労七傷(ごろうしちしょう)、八般(はっぱん)の風痰(ふうたん)、五般(ごばん)の膈気(かくき)、心腹(しんぷく)の冷痛(れいつう)、反胃嘔悪(はんいおうあく)、気瀉霍乱(きしゃかくらん)、臓腑虚鳴(ぞうふきょめい)、小嵐瘴虐(しょうらんしょうぎゃく)、遍身(へんしん)の虚腫(きょしゅ)を治す。婦人の産前、産後の血気刺痛(けっきしつう)、小児の疳傷(かんしょう)も并(あわ)せて宜(よろ)しく之(これ)を治すべし。」 1
【現代語訳と解説】
- 傷寒頭疼、憎寒壮熱、上喘咳嗽:
悪寒と高熱を伴う頭痛、息切れや咳など、いわゆる「かぜ」の症状。 - 五労七傷:
様々な原因による心身の極度の疲労や衰弱状態。 - 八般風痰、五般膈気:
風邪(ふうじゃ)や痰が原因の不調、胸やみぞおちのつかえ感。 - 心腹冷痛、反胃嘔悪、気瀉霍乱:
胸や腹部の冷えによる痛み、胃の不快感や吐き気・嘔吐、ガスを伴う下痢やコレラ様の激しい吐き下し。 - 臓腑虚鳴:
お腹がゴロゴロと鳴ること。 - 小嵐瘴虐:
山間部の湿度の高い地域で発生する特有の病気や、マラリアのように悪寒と発熱を繰り返す症状。 - 遍身虚腫:
全身性のむくみ。 - 婦人産前、産後 血気刺痛:
産前産後の気血の巡りが悪くなることによる、刺すような痛み。 - 小児疳傷:
小児の消化不良や栄養失調。
傷寒論で言うと、太陽病と太陰病の合病。あるいは金匱要略では霍乱病と湿病の一部がまぜこぜになっている。但し藿香正気散の方意はシンプルで配薬は天才的。加減もし易い。
私なりに経方医学で方意を紐解く。甘草、生姜、大棗で守胃して胃気を高める。半夏、生姜で胃飲をさばく。白朮で心下、胃、肌の茯苓で胸の湿や飲をさばく。陳皮も胃飲をさばく。藿香で宣散方向のルートの湿や飲を裁きながら桔梗、白芷とともに気を通暢する。紫蘇は緩やかに皮気を走らせる。また藿香は半夏厚朴大腹皮で小大腸に行気をさせる。腹痛を伴う下痢によい適応だ。また腹部膨満が無ければこれらは加減しても良いだろう。
こうして藿香の薬効を穴埋め問題的に検討すると、胃を中心に温性で湿を捌きながら宣散粛降して通暢する、というのが当面の配薬方針としたい。胃気を上下に運ぶとすると温性もあり細辛にちかいかも知れない。但し細辛は後通の気を張る方向に向かい、便はどちらかというと出る方向になる。やはり藿香の薬方は独特だ。
あくまで、陽暑つまり熱中症と間違わないことが肝要だろう。
コメント