蕉窓雑話を読み進めるうちに舌診についての記述があった。
舌診で得られる限界は世間で思われているより少ない。
というか他の診察と組み合わせると舌の所見が矛盾することが結構あったりする。
だから、胃熱で舌苔が剥がれた状態は別として、ほとんど密かに参考程度であった。
(前略)・・・・舌診はただ陰陽虚実を判定するためだけのことで、細かいところで強いて拘ることはない。・・・・(後略)(対訳蕉窓雑話 福岡・蕉窓雑話を読む会 たにぐち書店p87)
これはまるでCRPつまり炎症反応のようなものだ。
仮にCRPが高値であったとする。
となると確かに、炎症はどこかにある。
しかしそれはどこの炎症であるということまでは教えてくれない、ということだ。
舌診もそうなのだ。
舌の所見が患者さんの愁訴を表しているか、あるいは愁訴を出現させる病機を反映しているのかは定かではないのだ。
(前略)・・・・苔がひとわたり剥げた後がザラザラしている者で石膏を用いるべき者がある。附子を用いるべき者もある。また四物湯類を用いるべき者もある。・・・・(後略)(対訳蕉窓雑話 福岡・蕉窓雑話を読む会 たにぐち書店p87)。
私の場合流石に石膏や四物湯類まではわかるが、附子は処方できない。ただ、治療過程で症候の変化するとき、呼応するように舌の所見が変わったりする場合、それは多いに参考にしたい。
それにしても舌苔が剥げている場合、附子を使う局面はどいういう時だろうか。
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