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発想法ではなく思考法

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発想法と出会ったのは川喜田二郎のKJ法だった。

書籍はその名も「発想法」である。

私はアナログでグループでのブレインストーミングで活用した。

また、長い間文章作成のため、KJ法のアプリ(Win版で現在廃盤)を活用していた。

だから、発想が必要、発想が大事、発想発想と、探求していた。

ビジネス本やネットで「発想法」という単語が目に入ると、つい読んでしまう。

しかし、発想するためのアイディアというのは、さっと思い浮かぶものの、それをノートしたりZettelkasten内に適切に記述しようとObsidianを開いても、置き場がない。

 無理に永久保存版メモとして組み入れようとしても、「文脈」に沿わないことばかり。だから後ろのノートに入っていく。しかしあまりにも突拍子がなかったりするから、一枚のメモにも足りず、リンクも付かず、見直すと消去に至りなかったことになる。

 だから「発想」はZettelKastenではなかなか増えない。あるいは保存するほどではないかと、捨ててしまう。想起したときは俺って天才と気分が舞い上がっても冷めるとあぁ、それほどでもないかと消えて行く。だからまるで細やかな砂のように指の間からさらさら抜けて、さらに細かい粒子が掌紋の間に残るり、さっきまで何かがあったことを残すだけになる。

 もしかしたら、発想というのは、保存が利かないのではないかと何となく思い始めていた。

 そんな中で、『考え方の育て方 知的生産のデジタルカード法(倉下忠憲著)』を読んでいる。

 この一文に衝撃を受けた。

 『(中略)発想法と思考法の混同も会った。もちろん、共に頭を使った作業であり、知的労働なのだから重なる部分はあるにせよ、細かく観ていけばその二つには差異がある。当然、その差異は方法論においても違いを生む(略)』

 私もだ。

 発想法と思考法を混同していたのだ。

 発想はそもそも保存が効かない揮発性物質だ。

 思考の過程で使われて溶け込むものなのだ。

 さらに本書を読み進めていきたい。

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