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乱合の一手目から分らないけど楽しい

杖道

 【要旨】杖道の稽古に身が入らなかった理由は、技が実戦とかけ離れていると感じたからである。しかし、石田博昭氏の解説動画を観て、杖道に隠れた技の意図を理解し、その見方が大きく変わった。これを機に、杖道の型稽古に対する取り組みを再評価し、理合を生かして技を再習得することを決意した。

乱合練習中

新しく習い始めた乱合。手順だけは覚えているようで、当直の朝も病院に行く前に練習した。とりあえず乱合の習った部分、つまり最初だけは覚えている。しかし、技の理合まで考えると、最初の一手目から分からなくなる。それでも「分からない」と思いつつも放っておけない。その意味を突き詰めていっている。

杖道への違和感と続ける理由

これまで杖道の稽古に身が入らなかった理由は、杖道の技があまりにも実戦とかけ離れているように見えたからである。辞めようと思ったこともあったが、私のために時間を作ってくれる先生の一途さに心を動かされ、結局辞めることができなかった。私は良い人に見られたいという欲望があり、そのために辞めると言い出せずにいた(だから私は良い人ではない)。

型武道と実戦

型稽古だけでは、どんなに優れた技でも実戦では使えない。実戦で使うなら、乱取り稽古を取り入れることが必須である。しかし、私はその気はもうなく、そもそも杖道を実戦で使う発想はない。ただし、型の手順の上でも、無理筋な想定は受け入れがたい。

太刀との攻防の違和感

杖が相手でも太刀との間が持たない。いや型稽古とはいえ構えで動きで隙を見せる理由が分からない。また、太刀を延べて打ち込む理由も理解できず、先生に聞くのもためらわれるほどであった。時々、早く動けと言われることもあったが、その手本の動きも決して速くは見えなかった。早く動けば速くて見えなくなるとでも思っているのか。

石田博昭氏の解説による理解の変化

杖道に対する見方が大きく変わったのは、たまたまYouTubeで石田博昭氏の解説動画を観た時である。氏は杖道ではなく神道夢想流杖術の師範である。恥ずかしながらその動画でその技に隠れていた意図がほんの少し明確になった。少なくとも実戦に拘ってもよいのだと言う確証が得られた。もし氏がご存命ならば、入門し定期的に稽古を受けたいと思ったほどである。残念でならない。

理解の深化と再稽古

型とはいえ、だめなモノはダメである。杖道の中で、相手が杖の何を狙ってくるかを想定し、太刀の攻撃を杖に隠れて技をかけることにこだわる。武術の理合を活かし、型をすべてやり直す決意を新たにした。その理解のための一歩が乱合習得であった。

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