私が西岡常夫という武道家の存在を知った時、先生はすでに鬼籍に入られた後であった。
直接その道場の門を叩くことも、手取り足取りの指導を受けることも、もはや永遠に叶わない。
私に残されたのは、インターネットやDVDに刻まれた数々の映像資料だけである。
しかし、その粗い画質の向こう側には、確かに私の知らない「理合い」が存在している。
モニターの中の先生は、繰り返しこう仰る。
「小指を締めなさい」「本手(ほんて)の手の内だよ」と。
本稿は、この言葉の意味を解剖学という現代の補助線を引いて読み解こうとした、私なりの「画面越しの稽古記録」である。
画面の中の違和感と「小指」の謎
来る日も来る日も映像を見返していて、ふと気づいたことがある。
先生の動きは、いかに激しく太刀を捌(さば)いても、決して肩が上がらないのだ。小柄な体躯でありながら、太刀の圧力に対して微動だにしない「重さ」がある。
なぜか。
そのヒントは、先生が口を酸っぱくして説く「小指の締め」にあるのではないかと思い至った。
「小指を締める」—これを単なる握力の話だと捉えると、本質を見誤る。
解剖学的に見れば、小指(尺側)に力を込めることは、腕の裏側を通って「広背筋(背中の筋肉)」へとつながる導火線に火をつける行為に他ならない。
先生は単に「手を鍛えろ」と言っていたのではない。
「小指というスイッチを使い、背中の巨大な筋肉を動員せよ」と、画面の向こうから叫んでいたのではないだろうか。
「脇の下のたまご」を解剖する
武道には古くから「脇の下に卵を挟んで、割らないようにする」という教えがある。西岡先生の動画においても、脇の締まりについては厳格である。
これを現代的に翻訳すれば、肩甲骨の「下制(かせい)」と「下方回旋(かほうかいせん)」という動きになる。
- 下制: 肩をすくめず、真下に落とす。
- 下方回旋: 肩甲骨を回転させ、肋骨に密着させる。
映像の中の先生が、あの細い腕で強烈な太刀を受け止められるのは、腕力ではない。この「肩甲骨というギア」を介して、体重そのものを杖に乗せているからだと確信した。
「小指を締める(本手)」ことと「脇を締める(卵)」ことは、解剖学的には「背中で杖を操作する」という一点で完全にリンクするのである。
叱ってくれる人がいないから、ジムへ行く
もし先生が存命であれば、「違う!肩が上がっている!」と指摘頂けるかもしれない。しかし、今の私にそれを指摘してくれる師はいない。
だから私は、その「感覚」の答え合わせをするためにジムへ行こうと思う。
利用するのは、「ラットプルダウン」や「懸垂」のマシンである。
ただし、筋肉を大きくすることだけが目的ではない。
バーにぶら下がり、腕を曲げる直前。
「肩甲骨だけをグッと下げて、首を長く保つ」あの一瞬の動き。
「ああ、これだ」と身体が納得するかも知れない。
この時、背中にかかるテンションこそが、映像の中の先生が「本手」で打つ時の身体感覚そのものではないか。
この「背中のエンジン」のかけ方をジムで身体に刻み込み、それを道場で杖を持った瞬間に再現する。ジムでは当然そこを意識的に鍛える
直接の指導を受けられない私が、先生の動きに近づくためにできる、現代的なアプローチである。
おわりに
西岡先生には一度もお会いできなかったが、遺された映像は、こちらの問う力が深まるほどに、常に新しい答えを返してくれる。
「手で打つな、背中で打て」
モニターの向こうから聞こえるはずのないご指摘を感じながら、今日もまた、一人で杖をそっと振る。小指の先に、亡き氏の背中を探して。


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