前回に引き続き、20個目の輔行訣のバージョンの日本語意訳を覚え書きとしてここに記す。時期が定かではないその他的な版である。時期が定かなバージョンと合わせて21個ある。
二十、《輔行訣》張義霄抄本(1988年10月以前?)
この資料は、縦約26.2cm、横約19.0cmで、横書きで書かれています。便箋に書かれており、1ページ21行、1行あたり約18〜21文字です。書物としての表紙を含め41ページあり、書き終えた日付は見つかっていません。
しかし、注意深く観察すると、この写本の底本が中国中医研究院の印刷本(1975年)であることがわかります。この印刷本には張大昌氏の注釈があり、そこには『考釈』本について言及されているため、この写本が完成した時期は、暫定的に1988年10月の『考釈』本の成立以前と推測されます。
この写本は張義霄同志によって筆写されました。その際、一部のページを除き、ほぼすべての本文が一行おきに書かれているという際立った特徴があります。
書物の冒頭にある「湯液経法十二神方」の図は、張大昌氏自身が描いたものであり、『輔行訣』の原書に元々あったものではありません。また、本文の「五畜為益」の部分には、張大昌氏が赤と青の2色のペンで「五石為仙」「五石以神」の8文字を書き足しています。これら8文字は、金石薬が処方に加えられる理論的根拠と見なすことができます。
張大昌氏は、この写本の「救諸病誤治方」の上に赤い油性ペンで区切り線を引いており、その部分の左上には赤いペンで「下巻」の2文字を記しています。分量から見ると、この場所が確かに『輔行訣』全体の半分にあたります。
しかし、他のどの写本にも同様の情報は記載されていないため、この情報だけで『輔行訣』の原本が上巻と下巻に分かれていたと結論づけることはできません。
コメント:上下巻に別れていた可能性があるというのは興味深い。張大昌氏は自分の加筆や根拠となるメモを附記している。
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