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夜怪しき人を見たか〜杖道ひとり外稽古

杖道

 外での型稽古。明るいところで稽古するのはこっぱ恥ずかしい。

 朝は野球少年がバットで素振りをしている。だから朝はできない。

 となると夜しかない。

 夏は暑い。さらに遅い時間まで明るい。晩夏の今日もそうだ。でも夜は完全な暗闇とならない。暗闇を照らすほのかな照明の中なら少しだけ身を隠す。この少しがいい。つまり、完全に身を隠すのは良くないのだ。皆の目がある以上、何をしているかは分かってもらった方が良い。怪しさ100%になればまちがいなく通報されるからだ。

 だから誰でもそれと分かってもらい、警察が通っても無視してもらえるように。そんな微妙なアピールも欠かせない。要はバランスの問題だ。不明瞭さと明らかさとのバランスだ。

 となると奇声に近い気合いを出すわけにはいかない。日常生活で想像も出来ないような不思議な型も避けるべきだ。理解不能な型は通報の動機になりかねない。まあ杖道ではそれはないか。それにいかにも◯しそうに殺気だって行うのも躊躇う。バットの素振りならば楽なのにな。

 それならば、見たらそれとわかるような単純で、目で追いやすい型の練習が良い。そのような結論に行き着く。となると、そう。太刀の素振りが最も適している。それと分かるし、動作を繰り返せば目で追える。勿論奇声はなし。警察も敷地内で太刀で素振りしてますと通報されても、そうですかで終えてくれそうだ。

 杖道は杖、太刀の型稽古である。杖はよく稽古する。太刀はなかなか稽古する機会がない。私は特に一人稽古でも太刀は後回しになりやすい。ましてや単純な素振りは遠い世界だ。それに私の理解を超えるところではあるが、型稽古としてぱちっと太刀を止めなくてはならないという。今の所わたしにはそれができない。これまで稽古していた太刀の型(杖道ではない)は完全に振り下ろしていたからだ。骨の髄までそれが染みついている。それを残しつつも、ぱちっと止める。それを身につけるには繰り返すだけなのだそうだ。繰り返すだけでできるのだとしたら、ある意味楽だ。やってみない手はないではないか。

 一人稽古用稽古場。マンション前。それは四方に花壇が囲み、その内側をソリッドな石椅子が4つ小学生の図形問題の如く並べられている。暗闇を照らすほのかな照明の中木刀を持つ私はゆっくりとした足取りでいつもの場所に降り立つ。杖、太刀が入った漆黒の袋。手触りも近くで見たら見た目も、実際も合皮の袋。それを石椅子にそっと置く。そこから太刀をそっと引き抜く。

 回りに目を配りながら今日も静かにそこにそっとに立つのだ。

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