令和7年の杖道初稽古は1月19日であった。
一人稽古は勿論していた。
例年だと、というか一昨年までぜーんぜん、冬は稽古しなかった。
だから型をやっては忘れ、やっては忘れていた。
去年というか、一昨年の秋頃からそんな私を哀れみ兄弟子がマツーマンで週に一回教えてくれるようになった。
そのお陰で私は少なくとも手順を忘れずに型稽古をした。
あろうことか、去年の夏頃から杖道の術理を極めることを目指すことになった。
だから好き勝手に解釈して稽古繰り返した。
当然好き勝手な解釈は誤った型の解釈を生んだ。
これがそもそも嫌だったというのもある。
古武術をやっていた頃、本当に微妙な身体の使い方をしたものだった。
わずかな身体の操作の差が技の切れ味に大きな違いとなって現れてしまう物であった。
杖道をするに当たってこの恐れが消えたわけではない。
しかし杖道は古武術ではない。
未だに型の改変があるなど、元の型の解釈が流動的だ。
古武術ではあり得ないことだ。
だから、逆に自由ではないか。
私も自由にやってやれ。
考えて見たら私はずっと前に武術を辞めていたではないか。
自由なのだ。
だから間違いは間違いなりに大いに進めて極端なまでにして、でもその間違いを極めるほど練習しようと思った。
去年私が型で本手打ちを顔面に打ち込むとき、見ていた周りの先輩たちが「(危ないという意味)わーーー!!。」とエイリアンの映画を観るような叫び声を上げ、私の相手をして頂いている先輩は、怖がって目を閉じてぎゅっと縮まっていた。
私の杖はというと、当然相手の顔に当てずに止めた。
この一例を見ても、型の手順としてはともかく、術理としては間違いを犯している。少し技量がある方から見たら、そんな気配がもれもれの打ち込みなんてあっさり返り討ちにするだろう。
技とは気配無動き、見るからに柔らかい動きでひたすら強い打ち込みを放つ。
それが本来到達すべき世界だ。
そんなこと言われなくても分かっている。
しかしだからこそここまで正解から離れているからこそ、精妙な世界が見えてくるのだ。
よって「勝手にこだわり、稽古続け、素直に指摘により修正に応じる」をモットーとした。
解釈が正しいかどうかは、正解から離れた誤りがあってこそはっきりと理解できるものだ。
ところで、太刀がぼろぼろだったさ。
全く拘らなかったからだろう。
それが言いたかった。
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