先日、皮膚疾患の治療で担当している患者から、次のような相談を受けた。
「先生、別の病院で受けた健診で肝機能の数値が悪いと言われました。『飲んでいる漢方が原因だからすぐにやめなさい』と言われたのですが、どうしたらいいでしょうか…?」
その際、詳しい検査結果の提供はなく、患者本人もどの数値がどのくらい悪かったのかは分からない、とのことであった。
数ヶ月前から悩んでいた症状が、漢方治療でほとんどよくなった矢先のことだ。具体的な根拠も示されないまま、ただ不安だけを与えられた患者の気持ちは、察するに余りある。
今回は、このような「情報なき医療指導」と「漢方薬と肝機能」の問題について考えてみたい。
本当にその漢方薬が原因か? ー「決めつけ」に潜む危険ー
漢方薬も肝機能に影響を与える可能性の一つではあるが、決して唯一の原因ではない。この冷静な視点を持つことが、患者の体を守る上で何よりも大切だと、私は考えている。
そもそも、肝機能異常を引き起こす原因は非常に多様である。我々が「漢方のせい」と決めつける前に、常に鑑別すべき疾患には、以下のようなものがある。
* 薬剤起因性
* MASLD/MASH
* 感染性
* 胆道疾患
* 自己免疫性
* アルコール性
このように、無数の可能性の中から「本当の原因」を探っていく必要があり、そのためには客観的な検査データが不可欠なのだ。
それでも私が、漢方薬の【中止】を即決した理由
「原因は漢方ではないはずだ」と頭の中で考えながらも、私は患者に対し、迷わず漢方薬の中止を伝えた。
なぜなら、そこには私が治療において常に守っている信念があるからである。
それは、**『いかなる理由であれ、患者が “毒かもしれない” と疑う薬を、無理に飲ませるべきではない』**ということだ。
そうでなくても、漢方薬は決して美味しいものではなく、中にはかなり癖の強い味のものもある。患者は効果を信じ、努力して飲んでいるのである。 そこへ『怖い』『おっかない』という感情が加わった状態で、無理に飲み続ける必要は全くない。
ここで、我々が冷静な判断を下せた、もう一つの理由がある。
当院では漢方治療において、定期的な血液検査による安全性の確認を原則としている。この患者も、直近の検査まで肝機能は全く正常であった。つまり、仮に異常が起きているとすれば、それはごく最近、この『定期採血の狭間』に起きた出来事ということになる。
幸い、症状そのものはかなり改善し安定していた。
この「症状の安定」と「直近までの安全性の確認」という二つの事実があったからこそ、我々はデータなき健診医の言葉に動揺することなく、まずは患者の不安を取り除くことを最優先に『中止』という判断を下し、改めて自分たちの手で状況を確認するという、冷静な次の一手を選ぶことができたのである。
自分のデータを手にすること、そして医療連携の大切さ
今回のケースのように、具体的な数値データも、医師からの正式な情報提供もないまま、口頭で『やめなさい』とだけ言われてしまうと、患者はただ不安になるだけで、我々かかりつけ医は的確な判断を下すことが非常に困難になる。
例えば、肝機能のデータがあれば、我々は**「FIB-4 index(ふぃぶふぉーいんでっくす)」**という数値を計算する。これは年齢と血液検査の項目(AST, ALT, 血小板数)から、肝臓の硬さ(線維化)のリスクがどの程度あるのかを評価するための、非常に重要な指標である。近年「奈良宣言」などでその活用が広く推奨されているが、元になるデータがなければ、こうした客観的なリスク評価さえ行うことができない。
つまり、「どのくらい悪いのか」、そして「どれくらい急いで肝臓専門医に診てもらう必要があるのか」という、最も重要な判断ができないのだ。
では、どうすればいいのか。
答えは一つである。患者さんはご自身の情報は、自分自身で手に入れることだ。
健診などで異常を指摘されたら、必ずその検査結果のコピーをもらい、かかりつけ医に見せてほしい。その一枚の紙が、不確かな情報に振り回されることからあなたを守り、我々医師が的確な診断を下すための、何よりも重要な「根拠」となる。
我々かかりつけ医は、その地図を広げ、あなたと一緒に現在地を確認し、次に進むべき道を指し示すことができる。それが漢方治療の継続であれ、中止であれ、あるいは専門医への紹介であれ、根拠に基づいた最善の一歩であることに変わりはない。
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