今文章を作るにしても情報を参照するにしてもCosense(旧Scrapbox)を使用ている。Cosenseは私にとって情報のターミナルだ。
タイトルのZettelkastenとはドイツの社会学者ニクラス・ルーマン先生が発案したカード式の情報整理術。この方法で多くの論文書籍をプロダクトした。以前私も下心いっぱいで取り組んだ。だから以前はZettelkastenに情報を入れ参照していた。しかしやめた。
忘れっぽい私は、しばらくやめていたら、何故止めてしまったんだろうと、やっぱりやった方が良いのでは無いかと思ってなんとなくZettelkastenを調べ直した。
そうやってZettelkastenの情報を集め始めたら、止めた本質的な理由を思い出した。
やめた理由、それは面倒だから。そういえば元も子もないのだけどもう少し詳しく書く。
新しい文章を、つまり情報をカードにしてZettelkastenに入れるのに、それがそれまで存在している文脈のどこに入るかを考えるのだ。これがやたら負担なのだ。実はこの行為こそ論文作成、あるいは書籍作成に味わう苦労のようなものだという。それには同意する。しかし、面倒くさすぎて作業にブレーキがかかってしまう。その結果新しい情報が目の前に現れても、取り入れるのを躊躇うのだ。いや、知らない振りをする。
あほ、それが必要だからZettelkastenを始めたんだろうと言われそうだが、いやになってしまったものはしょうがない。
そしてこれは後から分かったんだけど、Zettelkastenに一度組み込まれた情報同士はシャッフルできない。いやしにくい。もしそれを実施する場合新しいカードとして、もとのカードとリンク(ナンバリング意外に参照の番号を振る)して新たに作って行くのがルールだ。いや、手順はその通りだけど、これも結構面倒なのだ。
面倒くさがり屋?そうかもしれない。しかし、ああでもない、こうでもないと素早く組み合わせたり離したり、順番を変えたりするスピードの方が余りにも早く、Zettelkastenでナンバリングなどの手順が億劫になってしまったのだ。これも論文作成のための苦労となるというわけだけど、とても億劫になるのはしょうがない。だからせっかく集めた情報をもとに新しい発想をすることはとても面倒になる。
一方Cosenseの場合は、最低限のルールを守れば簡単に関連した情報が自然と(!)次々に現る。最低限のルールとはタイトルと本文(情報は一つで簡潔に他人が読んでも分かる内容)、必ず重要な単語をリンク状態にさせることだ。私はさらに根拠となる引用元を必ず入れいている。勿論ナンバリングは不要だ。
何が起こるかというと、検索したカードを表示させるとその下に関連リンクと、そのリンクの先のリンクまでさっと一覧される。
タイトルを見るとそのまま文章を書きたくなる。それぞれの内容をつなぎ合わせて文章になっていく。
Cosenseは情報整理法として優秀な反面、Zettelkastenのようにすぐに関連したカードを取り出せば論文や書籍になることはない。つまり情報整理術と文章作成を、切り離して扱う。この考え方は「考えの育て方: 知的生産のデジタルカード法 (倉下忠憲 著)Kindle版(118p/144p)」で明瞭に述べられている。
Zettelkastenがダメと言いたいわけではない。辛抱が足らない私には無理であることを、主張したかった。
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