Scrapboxのファイル数は現在647個。
ルーマン先生のZettelKastenのつもりで構築しているプロジェクトである。
多くの論文や書籍を生産したルーマン先生の足元位には近づきたい。
いや近寄りがたくても、「知的生産術」の「くる」を体験したいと思いファイルを重ねていった。
しかし「くる」ことは未だないのだ。
そこで、どのようにしたら、アトミックノートと重要と思しき部分にリンクを張ったノートが活用できるのかと、「TAKE NOTES!] ズンク・アーレンス著 日経BP」と」『知的生産の技術 (岩波新書)株式会社 岩波書店(梅棹 忠夫著))を「くった」。
知的生産術の「くる」とはなにか。再び当該名著を引用する。
「カードは、活用しなければ意味がない。カードは、くるものである。カード・ボックスにいれて、図書カードをくるように、くりかえしくるものである。」『知的生産の技術 (岩波新書)株式会社 岩波書店(梅棹 忠夫著) p.62)』
結局、「くる」とはめくることなのだ。
図書カードや書籍での表現を参考にすると、視線をなるべく動かさず書いている内容が認識出来るスピードで次々に目に入れていくことなのだ。
一方、TAKE NOTESでは作られたメモ(ノート)から以下のようにアイディアが生み出されるとい。
メモを貯めると自然と自然と、執筆テーマは自然にみつかる(p247)
というのだ。というのも、
過去に優れたアイディアを思いついていれば-中略-すでに(ZettelKastenの)なかに入っているでしょう(p246)。
という。
ここで、はたと止まった。
つまり、ZettelKastenの永久保存版メモに入れる内容はアイディアなのだ。
一方で私のScrapboxに入っているのは、確かにアイディアもあるもののそれは少数で、むしろ文献引用メモ(自分の言葉で言い直してはいる)なのだ。
良いでは無いかととも思える一方で、ぼーっと見渡したとき、アイディアと引用が混ざっている。そんな中でアイディアのみ「くる」ことはとても難しい。
つまり「くる」ためには純粋にアイディアのみ入ったそれも一テーマが連なる塊となったものを用意しなくてはならないではないか。
まとめると、リンクは張る必要がある。それと同時に1つのファイルボックスに文献引用メモとアイディアは「くる」ために混在させてはならない、のかもしれない。
647個というファイルはもはや意味が無いのか。
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