長きに渡るiPad愛、それでも限界を感じて
初代iPadからの愛用者として、私のiPad愛は長い間変わることなく続いてきました。しかし結局Macがメインで、あくまでその補助としてしか使わないことが多い現実に直面しています。私のiPad愛が試される瞬間が増え、iPadの活用法の本を読みたくなるのは、実は十分に活用していない証拠かもしれません。Apple Pencil第二世代を使えるiPad Pro 12.9に期待を寄せましたが、実際の使用感は重たさと使い勝手の制約が目立ちます。今年の春からバレットジャーナルという紙ベースのメモ取り方法の魅力に触れたことで、デジタルから紙へとメモの取り方が変わりました。バレットジャーナルの優れた検索機能や物理的なペンの感覚、手触りにはデジタルにはない魅力があります。
iPadの限界を感じて
現在、iPad Pro 12.9 (2018)を愛用していますが、Mac、iPhone、Apple Watchを持っていると、実はiPadを持ち歩く必要性が薄れてきました。特に外付けキーボードでATOKの使用ができない制約は、テキスト入力を中心に活用しようとする私にとって大きな問題です。iPadの純正外付キーボードでは専門用語が入力できない現状には、限界を感じます。Atokに蓄積された資産が使えない仕打ちには憤りさえ感じます。
紙とデジタルのメモ、それぞれの価値
紙のメモとデジタルのメモ、それぞれが持つ独自の価値を比較検討する中で、iPadの利用限界が浮き彫りになりました。私にとってiPadが本当に不可欠なのか、その疑問が日々の生活で湧いてきます。画才がなく、絵を描くことを生業にしない限り、超高性能なiPad Pro 12.9は必要ないのかもしれません。
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