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【仮説】ScrapboxはZettelKastenのミッシングリング

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 うまく治せない患者さんがいた。

 悔しいし申し訳ない気持ちで一杯だ。

 その方の症状は頻尿が中心。

 多くの愁訴を思っていた。

 今一度しっかり見直そうと思う。

 どこに、改善の余地があるのだろうか。

 エキス剤からゆっくりと見直し、古法の医学までじっくり読もう。

 さて、落ち着いて資料を読もうとどかどか本を並べた。

 皆読みたかった。

 ここは病院。

 診療の合間に読むことになる。

 今日の日は、これがまた全然時間がなくて、チラッチラッとしか読めない。読んでもまとめるなんてとんでもない。

 でも得たことはなにもないわけがない。

 でもまとまった文章は作れない。

 だから、Scrapboxのページには「頻尿といえは」とし、本文は「清心蓮子飲、五淋散、竜胆瀉肝湯がある。頻尿について鑑別や方剤を生薬配薬の観点から詳らかにすべし。」と書いた。

  頻尿を[]でリンクした。

 因みに頻尿のエキス方剤はこれだけではない。だから文章全体としては不十分である。

 言い尽くしていないのだ。

 仮にこれをZettelkastenで取り込むとすると、そのテーマは既存の文脈にはない。よって新規になる。だから一番後ろに来るだろう。

 いやこれってそもそもまとまった文章ではないでしょ。

 頻尿に適応があるエキス方剤を網羅されてさえいない。

 将来、論文や、そこまで行かなくてもテキストの一部となるような文章にはなり得ない。

 だから永久保存版メモにはならない。

 ではFleeting Note、つまり一時保存の走り書きになるか。

 いやそれとも違う。

 その日のうちに消すルールになる。

 Obsidianでなければ、Evernoteか、Macの標準メモか、あるいは紙か。

 なんとこれを書けるのはもうまさにScrapBoxだけなのだ。

 ScrapBoxは長大な文章を書くための畑になるという側面はあるのかも知れない。

 それは未体験なので、現時点では断定はできない。

 しかし、着想とZettelKastenの永久保存版メモとを結ぶミッシングリングにパチリとハマる思考法という役割が、見えてきた。

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