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私のZettelkastenがなぜ破綻したのか

雑記

ZettelKastenは一つ一つのノートを丁寧に作り上げていく。永久保存版メモとして出番まで収納されていく。

私は自分の言葉で作文することの大切さと大変さを実感したものだった。

そしてそれは、一見良さそうな行為に見える。

しかし、しっかりと作られた一つ一つのテーマの間にある、思考途中の材料は消えて行くことを、初めからなかったように私は振る舞っていた。

着想を得ていたはずの一時保存メモも殆どは消えて行った。

思いつきなんてそんなものだと、それも受け入れていた。

そうして改めて永久保存版メモを見渡すと、決して悪くはないが、通り一遍な感じが否めない文章が辛うじて文脈をつなぎながらナンバリングに応じて連なっていった。

永久保存版メモを完成すること。

その行為は結果として私の思考や発想を制限していた。

その制限に反発して着想をなんとか一つでも生かそうという発想になっていく。

たどり着くのはプロジェクトだ。

しかし、そうすると決まった、あるいは決めたテーマのまとめ、成果物をプロジェクト化することの愚かさを知ることになった。

プロジェクトが、予定が立てられない。

予定を立ててもプロジェクト通りに進めない。

発想しようとしたらもうプロジェクトから離れていしまうし、それをcaptureするためまた新しいプロジェクトができてしまう。

それに時間通りなんて終わらない。

そもそも、成果物は最初から予定通り出来るわけがないと、ルーマン先生ご自身がおっしゃっているではないか。

そうやって私の解釈したZetelKastenは破綻した。

Zettelkastenは思考法ではない。

ZettelKastenはむしろ巨大な成果物に近い。

それはあたかもすぐにでもプロダクトできるような状態で待機しているような感覚だ。

Scrapboxを導入してみてようやく素直にZettelKasnten振り返ることができた。

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