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太刀も気持ちよく打たれるように―令和八年、初稽古の深き学び

杖道

今日から仕事始めである。

よって初出勤を終え、私はいつものように少し遅刻して稽古に参加した。

道場へ滑り込むと、そこには驚くべき幸運が待っていた。なんと、今日の打ち込み、そして型稽古の相手を務めてくださったのは、当会最高段位者であるS先生だったのだ。

まるでお年玉のような稽古である。

正月ボケで弛緩し、ドタドタとしていた私の歩法も、先生の気が満ちた空間に身を置くことで、次第に締まりを取り戻していった。

身体が温まるにつれ、私は思い切り「ドッカンドッカン」と型をぶつけていった。

遠慮はいらない。S先生の懐をお借りして、全力で挑む。

稽古中、いくつもの貴重なご指導を頂いたが、その中で「ああ、そうなのか」とハッとさせられた言葉が一つある。

そもそも、杖道の型は少し特殊な構造を持っている。

本来、太刀側(打太刀)が上段者であり、後輩である杖側(仕太刀)の成長を促すという側面がある。太刀は、杖がのびのびと技を繰り出せるように導くのだ。例えば、杖が打ち込みやすいようにわざと隙を作り、「ほれ、打ち打ちなされ」と誘うような形となる。

だからこそ、私が杖を持つ時は「太刀が受け止めてくれる」という甘えもあり、容赦なく掛かっていったのだ。こちらの気迫をそのままぶつけることが、礼儀だとすら思っていた節がある。

ところが、最後の総評でS先生はこう仰った。

「Dr.おぐりん家さん。太刀もね、気持ちよく打たれるようにするんだよ。バンバンやっちゃだめだ。これから段も上がってくるんだから、後で困るよ。もう凄く良くなっているんだからね。注意してやろうね」

その言葉を聞いた瞬間、冷水を浴びせられたような、それでいて視界が開けたような感覚に陥った。

そうか。そうだったのか。

私の杖は「気持ち悪かった」のだ。

こちらが「どうりゃ!」とばかりにバキバキに打ち据えるのではない。

相手をちゃんと労り、制御しつつも、相手が「気持ちよく」打たれるように導く。

それが出来て初めて、真の杖遣いと言えるのではないか。

これは明らかに「次の段階」の話だ。

建前と本音。武術としての厳しさを持ちながら、それでいて相手と調和するような型。

今年の稽古は、私の技を大きく変えるものになりそうだ。そんな予感が静かに、しかし確かに胸に響いている。

 

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