先に示したとおり、范志良版『輔行訣』の心臓病ではちょっとおかしいなと思えることがる。
それはなにか。
同じ方剤名でことなる配薬が登場するのだ。
配薬、適応症状から類推すると『輔行訣』 は、心臓に関わる病を「心」と「心包」とに明確に区別して治療している。そして実際に内容を紐解くと、「小瀉心湯」「大瀉心湯」「小補心湯」「大補心湯」といった同じ方剤名が用いられながら、その処方内容(配薬)が「心」と「心包」で全く異なっているという事実に出会う。
一見、これは非常に紛らわしく、混乱を招くかもしれない。しかし、この「紛らわしさ」をそのまま受け入れつつ、方剤名の重複という一見不可解な現象の裏に隠された「心」と「心包」の病機(病気の発生メカニズム)の本質的な違いを、それぞれの配薬から類推し、解き明かすことにする。
『輔行訣』は、単に症状を治療するだけでなく、その症状がどこから来るのか、その根源的な病機を重視している。そして、その知恵は、私たちが心身の不調をより深く理解するための羅針盤となるだろう。
症状と配薬に見る「心」と「心包」の具体的な違い
条文に記された「心」と「心包」の病証とその対応方剤を詳しく見ていくと、両者の症状の現れ方や治療法に明確な差があることが判明する。
1.「心」の病証:心臓本体の血脈・陽気の不調
「心」 の病証は、主に心臓本体の機能、特に血脈の巡りや温め動かす陽気に関する問題に直結する。
実証(過剰な状態)
- 症状: 「刀で刺すような激しい痛み」 「突然の急激な痛み」 が特徴で、胸だけでなく脇や背中、腕まで痛みが広がることもある。飲食ができない、あるいは悪化するといった、肉体的・機能的な著しい阻害が見られる。これは、心臓の血脈や気の流れに「激しい詰まりや熱」が生じている状態を示す。
- 方剤(例:小瀉心湯)の配薬傾向: 竜胆草や梔子といった強力な清熱瀉火薬を中心に、急激な痛みを和らげる戎塩を組み合わせ、速やかに熱と詰まりを取り除くことに主眼が置かれている。
虚証(不足した状態)
- 症状: 実証のような激痛ではなく、「胸のつかえ」 「心窩部の張り」 といった持続的な不快感や閉塞感が特徴である。横になれない、心臓と背中を貫くような痛みがあるなど、心臓の機能低下による不調が示唆される。
- 方剤(例:小補心湯)の配薬傾向: 栝蒌(かろ) や 薤白(がいはく)、半夏(はんげ) など、痰(体内の余分な水分が滞って生じる病理物質)を取り除き、胸の陽気を巡らせる生薬を中心に用い、機能的な閉塞感を解消し、心臓の活力を回復させることを目指している。
2.「心包」の病証:心神(精神)と全身への影響
一方、「心包」 の病証は、心臓を保護する膜の機能や、それに付随する精神活動(心神)、そして全身の熱の管理に関する問題に深く関わっている。
実証(過剰な状態)
- 症状: 激しい動悸や不安を伴い、「笑いが止まらない」 といった精神的な高ぶりが見られる。吐血や鼻血、下血といった出血症状、顔が赤く目が黄色い、舌に口内炎ができるなど、全身に強い熱の兆候が現れるのが特徴である。
- 方剤(例:小瀉心湯)の配薬傾向: 黄連(おうれん)、黄芩(おうごん)、大黄(だいおう) といった、心火を強力に清熱し、出血を止める作用を持つ生薬が中心となり、心包に侵入した熱邪を速やかに排出する。
虚証(不足した状態)
- 症状: 「血気が少ない」 という全身の虚弱が根底にあり、「よく悲しむ」「時に悲しみ泣く」「いらいらして落ち着かない」 といった精神的な不安定さが顕著である。車馬に驚いたような激しい動悸、食欲不振、嘔吐、多汗、多眠など、心身の活力が低下した症状が見られる。脈も途切れたり微弱だったりする。
- 方剤(例:小補心湯)の配薬傾向: 代赭石(たいしゃせき) で気を降ろして心神を鎮静させ、旋覆花(せんぷくか) や 竹葉(ちくよう) で虚熱や煩悶を取り除く。人参や甘草、干姜(かんきょう) といった補気健脾(気を補い胃腸を強くする)薬が加わることで、心血・心気の不足を補い、心身の安定を図る。
「心」と「心包」の本質的な差とは?
このように、条文から読み取れる「心」と「心包」の病証の差を端的にまとめると、その本質的な違いは以下のようになる。
- 心(しん): 「血脈と陽気の管理者」 としての心臓本体の役割を指す。
その病は、主に血の流れや気の巡り、温める力の「物理的な詰まりや不足」 として現れ、「痛み」や「閉塞感」が中心となる。
- 心包(しんぽう): 「心神と全身の熱の緩衝帯・管理者」 としての役割を指す。
その病は、主に精神活動の「動揺や不安定さ」、そして全身への「熱の波及」や「血気の虚弱」 として現れる。
つまり、『輔行訣』は、心臓に関わる症状を単一の臓器の問題として捉えるのではなく、「心臓本体の血流や陽気」 と 「精神を統括し全身の熱を調整する心包」 という二つの異なる機能領域として明確に区別し、それぞれに特化した治療法を提示しているのだ。
同じ方剤名が使われていても、その背後にある病機と治療の哲学は、驚くほど詳細に分化している。このことは、やはり輔行訣が不完全な形で伝承されていることからきている所以であろうことは想像出来る。それでもこのように学ぶ部分は大いにある。
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