毎日午前7時にブログ更新

経方医学を学ぶと言うこと

雑記

 経方医学を学ぶ目的。それは本文を丸暗記することではない。

 使えることつまり、患者さんを治せること。経方医学で病機を読み治方を組み立てることができることである。

 だからといって仮に本をただまんべんなく読んでいても限界がある。

 それは何故か。

 不得意な分野は無意識に読み飛ばしているからだ。でも患者さんを治すつもりだと不得分野でも急に脳みそが立ち上がる。苦手分野も習得が期待できる。すると覚えることが出来るし、使える。

 だから私は予てから臨床経験を積むことが肝要と考えていた。しかしここで、最近訪れている慢性的な大問題がある。

 患者さんの数が多くないのだ。

 治ったら来なくなる。治らなくてもこなくなる。となると患者さんが減る。

 患者さんが多くないと学ぶ機会が減ることになる。となると先に言った通り臨床経験が積めないから、患者さんからのフィードバックで学ぶ機会が限定される。だからここ数ヶ月焦燥感に駆られていた。

 そんな中で自然と生まれた経方医学学習対策。それが輔行訣を経方医学で解釈するということ。それをブログにアップしている。

 第三者目線でない、私自身が治方を身につける目的で。つまり輔行訣から情報をえて配薬まで使えるように。そのための経方医学に証と配薬を結び付けて解釈して吸収する。

 私は歴史学者でない。単に日本語訳するのではない。それにそもそも自分で不要と思えるところは端折る。例えば陶弘景のコメントは不要だ。知りたいのは湯液経の条文だ。そしてそれらはあくまでも自分のため。だからこそ分からないところは不明ときちっと附記することは言うまでもない。

 勿論解釈の独りよがりを避けたい。だからそのために引用はしつこく明示する。これで引用の誤解をどなたから指摘頂く好運がやってくる可能性がでてくる。そうして誤用を修正することで私はさらに高いレベルにいける。またブログにアップすることで、緩やかな締め切りに追われる感覚がある。

 輔行訣後どうするか。経方医学で解かれるのを待つのは輔行訣だけではない。多くの経方処方が経方医学での解釈をされたがっている。

 勿論、患者さんを治療してそこから得られる多くのことには及ばないだろう。でも「7つの習慣」の「のこぎりを研ぐ」作業としてこれ以上の方法は今の所思いつかない。

 経方医学の学ぶ形はまさに、色々あるのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました