経方医学から入った私は柴胡剤というとともかく膈を連想してしまう。実際経方医学4p116から「柴胡湯類」で小柴胡湯の解説冒頭から、「小柴胡湯を理解するためには、膈についての認識が不可欠である」(同p119)と来る。
膈は三層構造であり、上膈、中隔、下膈は表における皮・腠理(ここは私は十分に理解していない)・肌を繋ぐ。
膈に関わる直接的な臓腑は胆と肝になる。じゃあ、こんなややこしいこと言わず、臓腑弁証としての胆と肝をしっかり学べばいいのではとも思える。
しかし実際は臓腑としての肝胆を学んで膈を学ぶより膈から臓腑を学んだ方が結果的に実臨床に合致して処方しやすい。
例えば膈の働きと胆の疏泄収斂作用や全ての臓腑の気の出入りに置き換えられる。肺で言えば宣散や粛降、腎でいえば開闔作用である。
さらに、膈そのものの出入不利の原理をしれば今どこに気が不足あるいは有餘があるのかを診断しやすい。つまり、これらを理解すると四診で病機を把握してしやすい。
ただ、改めて経方医学4を読むと、膈について説明不足の感が否めない。確かに傷寒論金匱要略における柴胡剤類でいうところの肝気の有余、あるいは酸棗仁湯の処方解説による胆気不足は分かりやすい。
しかし肝気虚については、本書を読んで理解するのは痕安打。肝気虚については勿論経方医学理論を組み合わせれば紡ぎ出せる。しかし当該部分に「肝気虚」と言う項目を設定して診断法や具体的な処方までの解説部分はないのだ。
厄介なことに肝気虚でもやはり膈の扱いは重要となる。いやむしろ強く留意しなくては誤治してしまう。というのも柴胡で疎胆すれば壊病となり、誤治になるからだ。さりとて肝の条達をとめれば症状そのものは改善せず、デリケートに膈の気の往き来を促すような処方にしなくてはならない。
傷寒論金匱要略の解説が本書の目的であるからそれは達成しているからよしという考え方もある。しかし私が経方医学4の改定に携わることが出来たら、備考欄として肝気虚を経方医学理論で解説して処方例まで言及したいものだ。
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