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杖道は交流の道具

杖道

杖道での交流とは、ああ、ご無沙汰しております、お元気でしたか、お孫さんが大学生?いやはや時が経つのは早いですねというような会話ではない。

いや、それも悪いとは言わないし、積極的にあっても良いと思う。ただ今回言いたいのはそこではない。

先日の杖道の講習で分かった、杖道の目的あるいはこれが出来たら良いなと思えること。

仕打(杖、太刀を持つひと)で技を通じての会話である。勿論声を出すわけではない。

例えば7本目の霞で。こちらが杖を持っていているとする。逆手打後、杖先で相手の顔面を捕らえた後。本来太刀は一足一刀の間合いに下がるはずが二足一刀間合いに、大きめに下がってしまったとする。

そこで仕打同士心の中での会話。

(杖の私)「お。一足一刀の間に下がるはずなのに大分下がったな。私が体が大きいから大きく私が杖を振り回せるようにしたかな?」

(太刀の相手)「そうだよ。そのつもりだった。でもちょっと下がりすぎてしまったかも知れない」

(杖の私)「OKこちらで調節するよ。本来二足一刀の間合いにすっと下がるのだけど、極力一足一刀に近い二足一刀の間合いに下がる。ほら、この位置。ではそちらは多目に二足で来て」

(太刀の相手)「がってんだ。(右足の踏み込みを大目にして)これでどうだ」

(杖の私)「ああちょうど良いところに中柄がきた。サンキュー」

この会話をお互い高速で反応し合い、技を完成に成り立たせるために身体が反応していくのだ。さらに興味深いことに、型は決まってはいるものの、相手がこう来たからこう返すと言うふうに予め相手の動くの行く末を知らない前提であるのだ。

だから、本音と建前が二重に進行する会話となる。頭がパンクしそうだ。

そしてこれらの会話は手順の正確性が前提。そこは自動的に身体が反応できるように鍛錬して頭の中ではパンクしそうな会話を相手と交わすのだ。

性、年齢、体格、筋肉量が異なる相手と杖道を通じて会話することになる。これって楽しいではないか。

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