タイトルは間違えていない。
行間を読んではならない、無意識に読んでしまうのを避けるべきと言う話。
令和6年杖道講習会で悟った。
私にはこれまでの武術の癖が幾分残っている。
勿論その癖を取り去る努力はしている。
万が一でも杖道の稽古の時にはそれをわざとらしく昔の癖をアピールしたことはない。
私は武術を辞めた身だ。
技術を全て葬った。
話を元に戻す。
杖道は簡単だと思っていた。
舐めていたとまでは言いたくない。
しかし杖道は現代武道の1つだ。
昔日の古武術のような段階を踏んでカラダの動きを生まれたままの状態から武術の動きに変えるような成長を促す修行手段は確かにない。
技の効き方が上段者と異なっているのも、まあ繰り返しやっていればとそのうちできると思って動いていた。
ここで大きな問題が生じた。
来年4段を受けることになった。
実は3段までは地元。その上からは他地方で受験が必要だ。
内々でということではないが、3段までは一定の身内びいきはあるのかも知れない。
しかし4段からはそうはいかない。
やばいと思ったのだろう。
私のような者が外に行くのは。
いきなり多くの技の指摘がなされた。
なぜこれほどまで指摘が多くなったのか。
正直今さらなんだと心の中で思った。
教えてもらったことはちゃんと受け入れていたはずだ。
これは私の絶対不可侵のスタンスだ。
今まで教えてこなかった癖になんだ、と。
確かにそれまでサボりまくりの私だ。
でも手順くらいは知っているし、技も一定効く。
でも、まあ別次元と言える程細かい指摘がされた。
そこでふと思った。
癖を見逃がされ誰も指摘されずに過ごしてきたのではないか。
何も修行歴が無い場合、手順を教わって、やってみたとき、止まってしまう。
分からなくて動けなくなる。
止まってしまったら当然いちいち指導者は教えてくれるわけだ。
しかし私の場合、止まることはまず無い。
まだ教わっていない部分、特に細かい部分もなんとなくこうかな、と判断して出来てしまう。
そう。行間を読んでとりあえずできてしまっていた。
その積み重ねで何となく技の手順らしきものが繋がった果ての私の姿であった。
残された一年弱は行間を読まずにやって行きたい。
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