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今さら杖道に惚れたわけ

杖道

「相手を許すことだ」

四段昇段試験を控え、緊張感最高潮の1日目午前、仙台の杖道会の重鎮、質実とも東北でナンバーワンのM先生の技のご解説で放った一言である。

相対の稽古で、体当(たいあたり、技の名称)はやろうと思えば相手を転倒させてしまう。体格差、年齢差、稽古の熟練度の差があると尚更だ。そこで、M先生先生は言う。型稽古で屈強な者が小さい、お年を召した女性をばーんと倒して何になるのか、と。

ここは杖道の講習会で稽古場である。

性別、年齢、職業、あるいは学生など色々な背景を持ち、お金を払い、時間を作って、稽古をしたい人たちが集う。

皆それぞれありようの杖道がある。

そんな中で共通するのは、しつこいようだが、少なくともその瞬間、稽古したくてその場にいるということだ。

私のことを言えば、杖道を始めて三段くらいまで稽古するほどの時間もモチベも無かった。何度も稽古を中断した。その中でも気持ちを切り替えてやはりやりたいと思い、再開する。その度ごとに先生方は優しく迎入れてくれた。そしてあろうことかまた稽古を中断した。これを繰り返した。私は本当に迷惑な奴だった。昔習っていた武術ならば破門だ。

そしてそもそも杖道に真剣に取り組み始めたのは一昨年の秋からだ。先輩の助けを借りつつ稽古日以外は自主練もしながら、続けられた。

本気でやってみても振り返れば自分の立場でやれる時間は、やはり事実として多くはなかった。それでも、確かに一昨年からは可能な限り稽古したとは思える。同時にもっと前からしていたらと後悔もしていた。実は三段から四段への昇段は3年以上の経過が必要との規定がある。私の場合盛岡で昇段した時期の関係で、それが4年間必要だった。逆に言うと私には4年間の時間があったのだ。しかし今回私はその半分程度しか使えていない。そして実際予定通り稽古場では稽古不足がいやでも露呈してしまう。実際思った通り多くの事柄を講師に指摘されてた。自信のなさに落ち込みかけ悩んでいた。

こんな私が昇段できるのだろうか。そもそも受験してもいいのか。しかしそんな自分でも稽古したいから、昇段したいから。そんな気持ちは薄汚い邪心なのか。と、ウダウダと、そして緊張感マックスでそこにいた。

そんな中で、相手を許すのだ、の一言。心が溶かされた。その一言があって以降は自分の立場がどうとか関係なく、分からない部分は開けっぴろげにして誤魔化さず、素直に先生方のご指摘を身につけることに集中できた。

もう落ちてもいい(昇段できなくてもいいと言うこと)。ただこれからも稽古を続けていきたいと言う気持ちになり、夏の暑い体育館の中で穏やかな気持ちになれた。

その穏やかな気持ちとはただダラっとした、気の抜けたような感覚ではない。かつてやってきた武術とは目的も気の持ちようも空間も異なる安心感、静かな気持ちとも言うべきか。適切な言葉が見つからない。

幸いなことに四段に昇段した。そして多くの方たちに世話になったと感謝の気持ちでいっぱいになった。そしてこの、優しさを次の世代に渡していきたいと思えるのだ。

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