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【杖道】型が元

杖道

 現代の杖道における修練のプロセスは、極めてシステマチックだ。まず十二本の「基本動作」を徹底的に体に叩き込み、その動きが定着した後に初めて「型」の習得へと進む。我々はこの順序を疑うことなく受け入れている。

 しかし、視点を少し外へ向けてみるとどうだ。

 これまで私が個人的に修行してきた武術、あるいは古文献、資料映像を通じて研究してきた古武術の数々―その殆どにおいて、稽古の主眼は常に「型」にあった。いや、むしろ「型」こそがすべてであり、基本動作という独立したカリキュラムが存在しない流派さえ珍しくはない。

 この方式の善し悪しを論じるつもりはない。ただ、古流武術というものが、歴史的に「型」を主軸として伝承されてきたという事実は、動かしがたい現実としてそこにある。

 先述の言葉通り、もし「杖道の上達には古流の理解が不可欠」であるならば、私の取るべきアプローチは明白だ。

 現代杖道のように、型から切り離され、純化された「基本動作」の延長線上で答えを探すのではない。順序を逆転させ、その源流である「型」の視点から基本動作を見直すべきなのだ。

 基本動作とは、あくまで型の中に内包されたエッセンスを抽出したものに過ぎない。抽出される前の原液、すなわち「古流の型」を知らずして、どうしてその動作の真意(行間に書かれていないこと)を理解できようか。

 覚悟は決まった。ならば、徹底的に「型」から再構築しようではないか。

 神道夢想流という古流の型が、いかにして現代杖道の動作へと昇華され、あるいは省略されたのか。その変遷と理合を、手に入る限りの動画資料や参考文献を紐解きながら、執拗なまでに検証し、ここに記録していく。

 それが、理不尽な問いに対する、私なりの実証的な回答となるはずだ。

 

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