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輔行訣各バージョン覚え書きその15

漢方医学

前回に引き続き、21個目の輔行訣のバージョンの日本語意訳を覚え書きとしてここに記す。時期が定かではないその他的な版である。時期が定かなバージョンと合わせて21個ある。つまりこれが最後である。

『輔行訣』周連淼氏 第二次写本 (1988年10月以降?)

この写本は、周連淼氏が2008年5月7日に四川省色達(セルタ)の五明佛学院から送付したものです。サイズは縦19.1cm、横13.5cmで、横書きで書かれています。全32ページ、1ページあたり14行、1行あたり約22文字です。

初期の調査では、この写本は『考釈』版の本文から書き写されたものとみられ、そのため書かれた時期は1988年10月以降と暫定的に定められています。

この写本に記載されている「五味五行互含文」(二十五味諸薬之精)には、10種類の生薬が『考釈』版とは異なっています。これらの変更は、基本的に『考釈』版の注釈で指摘されている内容に沿っています。

『考釈』版の注釈では、以下の11箇所の変更が挙げられています: 「大黄」が「牡丹」に、「澤瀉」が「大黄」に、「厚朴」が「葶苈」に、「硝石」が「茯苓」に、「甘草」が「薯蕷」に、「大棗」が「葛」に、「麥冬」が「甘草」に、「茯苓」が「澤瀉」に、「枳實」が「麥冬」に、「鼓」が「枳實」に、「薯蕷」が「蕷(萸)肉」に変更されています。

しかし、周氏の写本では、火に属する「硝石」が「茯苓」ではなく「澤瀉」になっており、甘味で土に属する「茯苓」は「澤瀉」に変更されていません。したがって、周氏の写本と『考釈』版の実際の相違点は11箇所ではなく、1箇所のみです。

周連淼氏がかつて張大昌氏に直接確認したところ、これらの変更は張大昌氏が自身の判断で改めたものではなく、原典がそのようになっていたとのことです。

この写本には、別の紙に「五臓補湯別本集」が付属していました。この内容は、1980年に発見された張偓南の別集本(『陶弘景先生五臓法要別集』)の半分(「五大補湯」が欠落し、「五労五方」のみ)です。残された内容を見ると、細部が1980年版とわずかに異なっています。

2008年5月23日に張大昌氏の旧宅を訪れた際、「五臓補湯別本集」の張氏直筆の原稿を見ることができました。その原稿の表紙には「沾沾堂三世書珍」と記されており、巻頭には「霹靂湯治癌方」、巻末には「建中甘草丸」「大香鼓丸」「九味大麻仁丸」が書き写されていました。また、裏表紙には「玉石(?)吃碳」の4文字が万年筆で書かれていました。

コメント:元の『考釈』版から変更を加えた、いや実際は一箇所などとあやふやすぎる。『考釈』版すらないのでまあ、放って置いて良いバージョンだろう。

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