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診察室では言えない、肥満治療と向き合う私の本音

ダイエット

 これは、医療全体を語るような大層な話ではない。ただ、一人の医師として、肥満治療という大きな問題と向き合う中で日々感じている、正直な気持ちの話である。

診察室で患者さんの話を聞きながら、私の心の中には、いつも一つの想いが浮かんでくる。

それは、「ごめんなさい、今の私には、あなたを確実に助ける良い方法がない」という、静かな無力感だ。

しかし、もちろん、その言葉をそのまま患者さんに伝えることはない。「良い方法はありません」と告げることは、医師として患者さんの希望を断ち切ってしまうことにもなりかねないからだ。だからこそ、その言葉は声にはならず、私自身の心の中に深く沈んでいく。

このブログは、肥満治療の現場における、その声にならない一人の医師の独白である。

■ 教科書通りの「正解」が、なぜこんなにも遠いのか

肥満であるということは、高血圧、糖尿病、脂質異常症といった多くの生活習慣病の重大なリスクとなる。だからこそ、その治療は医療において重要な位置を占めている。

その肥満治療の教科書やガイドラインには、もちろん答えが書いてある。外来での主な指導内容は、食事療法、運動療法、そして行動療法である。

これらの指導は、短期的には確かに有効だ。しかし、数年後には、そのほとんどがリバウンドという結果に終わる。

摂取カロリーをコントロールし、身体活動を増やし、生活習慣を自ら修正する。理論の上では完璧なはずのこのアプローチが、なぜ長期的に機能しないのか。

答えは単純である。そのアプローチ自体の有効性を示す、長期的なエビデンス(科学的根拠)がいまだ存在しないからだ。

■ 「あなたの意志が弱いから」と、口が裂けても言えない理由

そして、医師として何よりもどかしく、辛いのは、リバウンドを繰り返した患者さんが、自らを責めてしまうことである。

「結局、私(患者)の意志が弱いから、だめなんだ」と。

私は、そうは思わない。

むしろ、そう言わせてしまっているこの肥満治療の状況そのものに、私は医師として無力感を覚えるのだ。

有効な手立てを提示できず、結果的に患者さんを「あなたのせいだ」と自己否定に追い込んでいる。その残酷な構造の一部に、自分も加わってしまっているのではないか。そう考えると、本当にやりきれない気持ちになる。

結局のところ、内服薬による治療や生活習慣の改善、その両者をもってしても、医師として「こうすれば良い」という具体的な対応方法は無いと言って良いのが現状なのだ。

■ 私のささやかで不完全な道具

では、生活習慣の指導が中心となる肥満治療において、医師として他に何ができるのか。

「内服薬」と言っても、その実情は、肥満症に適応のある防風通聖散や防已黄耆湯といった漢方薬を処方するくらいである。

これらは、肥満に伴う便秘やむくみといった不快な症状を和らげる「優しい手当て」にはなる。しかし、これだけで体重を大きく落とすのが難しいのは、先に述べた通りだ。嵐の中で一時的に雨をしのぐ、小さな傘のようなものである。

では、痩せ薬として話題になるGLP-1受容体作動薬はどうだろうか。

確かにこれは、食欲を強力に抑える「一時的な杖」になりうる。しかし、この強力な杖ですら、誰もが自由に使えるわけではない。肥満治療薬として保険適用で処方するには、高血圧や糖尿病などの持病があることを前提に、BMIが35以上の高度肥満であるか、あるいはBMIが27以上で肥満に関連する健康障害を複数合併している、といった非常に厳しい条件を満たさなければならないのだ。

つまり、私の手元にある道具は、ほとんどの場合、小さな傘(漢方薬)くらいのもの。強力な杖(GLP-1)は、ごく限られた状況でしか取り出すことが許されない。これが、私が日々直面している肥満治療の現実である。

■ 肥満治療における予防医学の破綻

この無力感をさらに深めるのが、予防医学から見た肥満治療の破綻である。

そもそも、日本人は欧米に比べ、極端な肥満にはなりにくい傾向がある。問題となるのは、むしろ軽度から中等度の肥満と、そこから生活習慣病へと至る「体重増加の傾向」そのものだ。

予防という観点から言えば、本来はこの体重増加傾向が明らかな段階で介入し、改善したい。そして、なにより患者さん自身がそれを望んでいるのだ。

しかし、現行の保険診療の枠組みは、そうなっていない。先に述べたように、GLP-1のような強力な選択肢は、すでに「相当の肥満状態」になり、健康障害を合併してしまった後でなければ使えない。ましてや、減量・代謝改善手術といったさらに強力な介入は、言うまでもなく軽度肥満の段階では適応外である。

つまり、最も効果的な介入をすべき段階で、私たち医師には有効な手立てがないのだ。

■ 声にならない「無力感」を抱え、それでも何をするか

結論として、私の無力感は、診察室でそのまま言葉になるわけではない。では、このどうしようもない気持ちを抱えながら、医師として何をするのか。

それは、肥満治療における完璧な答えを提示することではなく、不完全な道具を手に、それでも患者さんと一緒に一歩を踏み出そうとすることだ。

「この薬は杖にはなるかもしれませんが、嵐を止める力はありません。でも、この杖を頼りに、少しだけ歩いてみませんか」と。

確信を持って「この道だ」とは言えない。しかし、「こちらの方角へ、一緒に歩いてみましょう」と提案することはできる。

肥満治療に対して医師として「答えがない」と内省することと、患者さんの前で「希望がない」と告げることは、全く違う。このブログで語った私の無力感は、後者を選ばないための、私自身の戒めなのかもしれない。

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