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鎮痛薬が招く「胃寒」の頭痛—私の慢心を打ち砕いた一症例

漢方医学

 近畿で漢方を学び始めた当時、私は漢方治療にすべてを捧げていた。漢方こそが医学のすべて。半端な西洋医学は、師匠に言われない限り使わない。特に性急な解熱鎮痛薬には、7年間ほとんど手を出さなかった。それでも使う時は、どうしても使わなければならない時は、「どうしても漢方で解熱できませんでした」と、師匠に頭を下げたものだ。あまりに滑稽で、クソ真面目すぎる私に、師匠はただ「お、おう」と苦笑するばかりだった。

 だが、今の私は変わってしまった。以前のように自由に漢方生薬を使用できない環境が続いたこともあり、あの頃の私はもういない。解熱鎮痛薬も、ためらいなく「軽く」使うようになっていた。効けば儲けもの。効かなければ西洋医学の限界。それを自分の限界だと割り切ることに慣れきっていたのだ。

 そんな私の慢心を、一つの症例報告が打ち砕いた。

 それは、『漢方の臨床』に掲載された飯塚病院の矢口綾子医師らによる報告である。テーマは「鎮痛薬乱用頭痛(MOH)」。報告では、長期間のNSAIDs(解熱鎮痛薬)の頻用が胃腸粘膜障害を引き起こし、これが漢方で言うところの「裏寒(胃腸の冷え)」につながっていると考察されていた。

 つまり、頭痛を治すために安易に投じていた鎮痛薬が、逆説的に胃を冷やし、弱らせ、治りにくい頭痛の素地を作っていたのである。これは『経方医学』において、誤った下法などで脾胃の陽気が失われると「胃寒」が生じるという理論そのものではないか。

 なぜ胃が冷えると頭が痛むのか。かつての私なら即答できただろう。胃に寒邪(寒飲)があると、胃の気が本来の場所に留まることができず、「直達路」と呼ばれるルートを通って頭へ向かって上昇してしまうからだ。この制御不能になった気が頭に昇ることで頭痛が引き起こされる。報告された症例でも、患者はのぼせがある一方で足元が冷えている「上熱下寒」の状態を呈していたという。まさに胃寒によって気が頭へ暴走している姿そのものである。

 さらに私の不明を恥じ入らせたのは、診断の決め手となった所見である。「心下痞鞭(みぞおちの硬さ)」と「唾液過多」。これらは単なる不定愁訴ではない。『経方医学』において、脾胃虚寒による「胃飲(水毒)」の存在を示す決定的なサインだ。漫然と鎮痛薬を出していた私は、患者のこのサインを見落としてはいなかったか。

 この症例に対し、著効を示したのは「桂枝人参湯」であったという。理中丸(人参湯)で裏の寒飲をさばき、桂枝で表の頭痛を解す「表裏双解」の処方である。鎮痛薬という「表」の治療だけでは治らなかった頭痛が、「胃腸を温めて立て直す」ことによって劇的に改善した事実は、頭痛の根本原因が胃寒にあったことを如実に物語っている。

 私は「鎮痛薬も使いよう」などと嘯き、胃を壊すリスクを軽視していた。もちろん、それは制酸剤を併用していても起こりうることである。しかし、この報告は、鎮痛薬の乱用が胃寒を招き、それが制御不能な気の上衝を引き起こすという負の連鎖を突きつけてきた。

 私は環境の変化を言い訳に、私は最も基本的な「胃気」を守るという視点を知らず知らず見失っていたようだ。師匠への懺悔の念とともに、その原点に立ち返ろう。

  

 

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