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COVID-19後の「死ぬほどだるい」倦怠感に、なぜ補気剤が効かないのか――「ガス欠の車」と四逆湯類

漢方医学

 COVID-19のパンデミック以降、外来で増えている訴えの一つに、尋常ではないレベルの「倦怠感」がある。

「だるくて風呂にも入れない」

「一日中、横になっていても回復しない」

「動こうとすると、鉛のように体が重い」

こうした症状に対し、一般的には『補中益気湯』や『人参養栄湯』などの「補気剤(ほきざい)」が処方されるケースが多い。これらは読んで字のごとく「気を補う」薬であるから、疲労倦怠感のファーストチョイスとされるのは定石である。

しかし、臨床の現場では「補気剤を飲んでも全く効かない、むしろ胃がもたれて悪化した」というケースに少なからず遭遇する。なぜ、気(エネルギー)を補っているはずなのに改善しないのか。

先日、『日本東洋医学雑誌』(2025年 Vol.76 No.3)を読んでいて、我が意を得たりという報告があった。吉永亮医師らによる「高度の全身倦怠感が持続したCOVID-19罹患後症状に対して茯苓四逆湯による温補治療が奏効した4例」という論文である。

報告された症例はいずれも、通常の社会生活が困難なほど重篤な倦怠感(Performance Status 7~8)を抱えていた。特筆すべきは、彼らが当初、補中益気湯などの補剤を使用したが無効であり、病態を「厥陰病(けっちんびょう)」の「煩躁(はんそう)」と捉え直し、『茯苓四逆湯』に変更したことで劇的に改善したという点だ。

この「補気剤無効」の病態こそが、コロナ後遺症の深層を理解する鍵となる。

「ガス欠の車」でアクセルを踏んでも走らない

補気剤が無効な重度倦怠感の正体。それは単なるエネルギー不足(気虚)を超えた、生命のエンジンの停止寸前状態である。

これを車に例えるなら、「ガス欠(燃料が極めて少ない状態)で止まっている車」のようなものだ。もちろん、人間である以上、完全に燃料がゼロになれば死んでしまう。ここでのガス欠とは、生命を維持するのがやっとというレベルまで燃料が枯渇している状態を指す。

補中益気湯などの補気剤は、ある程度ガソリンが残っている車に対して「もっと元気に走ろう!」とアクセルを踏み込むような働きをする。エンジン(胃腸や代謝の働き=胃気)さえ温まって動いていれば、これで車は加速し、元気を取り戻す。

しかし、COVID-19という激しい消耗戦(傷寒)を経た後の患者の体では、そもそもエンジンを動かすための種火さえも消えかかっていることがある。

タンクの残量はわずか、エンジンは冷え切って停止寸前。

この状態でいくらアクセル(補気剤)を踏み込んでも、車は走らない。それどころか、無理な負荷がかかってエンジン(胃腸)がノッキングを起こし、さらに具合が悪くなることさえあるのだ。

補うのではなく「火」を点ける:四逆湯類の出番

このような状態を、漢方の六病位では「厥陰病(けっちんびょう)」などのカテゴリーで捉える。体の深部(裏)が極度に冷え(寒)、生命維持に必要な熱エネルギー(核温)さえ維持できなくなっている危機的な状況である。吉永氏の論文でも、この極度の倦怠感を、エネルギー不足ではなく「煩躁(身の置き所のない苦しみ)」の一種として捉えたことが奏効につながっている。

ここで必要なのは、アクセルを踏むこと(補気剤)ではない。

冷え切ったエンジンを温め、再始動させるための強力な「着火剤」である。

そこで登場するのが、『四逆湯類(しぎゃくとうるい)』と呼ばれる一連の処方群だ。これらは、強力な熱薬である「附子(ブシ)」と「乾姜(カンキョウ)」を主軸とし、消えかけた生命の火を再び燃え上がらせる「回陽救逆(かいようきゅうぎゃく)」という作用を持つ。

念のため言っておくと、四逆湯類はガソリン(燃料)ではない。

漢方医学において、生命を走らせるガソリンにあたるものは、日々の食事から得られる『水穀の精微(すいこくのせいび)』のことである。

しかし、いくらガソリン(栄養)を注ごうとしても、あるいはわずかに残っていたとしても、点火プラグ(四逆湯類)が火花を飛ばさなければ、エンジンは決して掛からない。

補気剤が「アクセル」だとすれば、四逆湯類は「点火プラグ」と「バッテリー」の役割を果たす。まず深部の冷えを取り、システムそのものを再起動させることで、はじめて人間は「生きるための熱」を生み出し、動けるようになるのである。

臨床における「限界」を見極める

ただ、実地臨床の現実として、どこまでこの理論が適用できるかについては冷静な視点が必要だ。

我々医師は現場で、比喩ではない「本物の死ぬ寸前」に立ち会うことがある。ショック状態や多臓器不全など、生命維持そのものが危ぶまれる場合、漢方薬を悠長に煎じている時間はない。そもそも飲めない。

したがって、四逆湯類が奏効する「死ぬほどの倦怠感」といっても、その適用範囲はあくまで「自力で漢方薬を服用し、それを胃で受け止めることができる最低限の生命力が残っている状態」までだろう。

口から薬を飲み、それを消化吸収するだけの「胃気」の残り火がなければ、いかなる名方といえども効果を発揮することはできない。そのギリギリの境界線を見極め、漢方が届く範囲の患者を確実に救い上げることが、我々臨床家の役割と言える。

治療の順序を見誤らない

「倦怠感=補中益気湯」という短絡的な処方は、実際短い外来時間においては決して否定されるべきものではない。ただ、無効と判明してもなお、漫然とした長期処方は避けるべきだ。

その場合、患者が訴えるその「だるさ」は、単なる疲れなのか。

それとも、生命の火が消えかかっているシグナル(少陰病~厥陰病)なのか(繰り返しとなるが、内服が可能であることが前提だ)。

私たち漢方医は、そのわずかな違いを脈や舌、そして「補剤が効かない」という事実から読み解き、ガス欠(燃料枯渇寸前)の車にはまず、適切な修理と再点火(四逆湯類)を行う必要がある。

四診を尽くしてその病態を見極め、適切な一手を打つこと。

COVID-19後の長引く不調、もし「アクセル(補う薬)」で良くならないのであれば、それは「点火する力」が決定的に不足しているのかもしれない。

 

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