Scrapboxで検索結果によって主体客体が入れ替わる。さらに夫々をクリックするたびにそれを中心に新たな文脈が生まれ文章化が可能となっていく。さらに新たな情報を入れ続けることで検索する度にScrapboxに入っている情報の範囲内で、新たな文脈を作れてしまうような気がしてしまう。
Scrapboxは何と自由な、何という深淵な発想の源泉、何という学びの有効活用。私は興味の広がりに圧倒されそうな感覚に襲われた。
だってそうでしょう。ある意味半ば義務感に駆り立てられて観たビデオ説明会すらこのような形で学びの結果として目の前に現れてくる。普段から少しずつ興味深い情報を入れていけばどのようなボードになるか。もはや畏れすら感じる。
そうなるとZettelkastenについて考えてしまう。少し解説(というか私の解釈)するとZettelkastenでは情報を文脈に沿って永久保存版メモをナンバリングしていく。集められた情報によってはその流れの途中に入れるべき場合がある。その場合は文章の、というかナンバリングの途中に別の枝番号を生成して入れ込んでいく。そうして巨大な文章のかたまりとして、一つ一つのカードにより形成されていくのだ。そして以前、Scrapboxで得た文脈をZettelkastenに永久保存版メモとしていれようした。そうやって二者を使い分けようとした。しかし2回目以降が進まなかった。
しかし、落ち着いて考えるとなんだかひっかかる。仮に関連ファイルすべて永久保存版メモとして文脈を別のナンバリングで枝にして作ろうとする。すると、重複した永久保存版メモが出現してしまう。ここでそうならないようにいちいちリンクで参照して別のファイルに飛ばすという方法をとるとする。一見良さそうなのだが、Scrapboxを体験した私は声を大にして申し上げたい。リンクで繋げると一覧性が消えてしまう。
ちょっとややこしいので先日アップした薬説明会の例で説明する。コンテンツは以下の通り。仮にこれを永久保存版メモにそのまま入れるとする。レケンビは認知症前認知症初期に使う薬だ。
薬品名(レケンビ)
↓
何に効くか
↓
どの位有効か
↓
投与するための条件
↓
投与方法
↓
副作用
永久保存版メモのナンバリグもこの説明にに沿った配置となるだろう。
実際「レケンビ」でScrapbox内を検索すると、7項目のカードと1つの2Hop Linksがヒットする。まあそれぞれの項目数としては適当だろう。しかし私はこの講演会ビデオから26個のカードを作ったのだ。なのに残りの19個のカードは消えてしまっている。だからこのままZettelKasten法でObsidianに入れると2Hop Linksを除いた7つの永久保存版メモとなる。他は文献引用メモに残されることになる。多くの文脈を作れるポテンシャルを残したままに。
仮に半年後、認知症について書こうとする。その時は認知症について書かれた構造ノートを探そうとしてもレケンビに辛うじて残っているだけとなる。ああそういえばレケンビは認知症に使うんだっけ。文献引用メモで認知症のキーワードとしてヒットはするものの、まとまりがないのでそんなものかとObisidianから離れるであろう。なんというもったいなさか。その一方でScrapboxでは一定の文書が作れそうであった。
ナンバリングは2つの役割がある。ひとつは文脈が迷子にならないようにすること。もう一つは関連したノート同士を結び付けるためのものである。そう考えるとZettelkastenならばナンバリングは、それ以外選択肢がないほどの良い方法である。そう、それがアナログ版であれば。
一方PCでは簡単にメモごとにリンクすることができる。Obisidianではメモ同士、それどころかワード同士がリンクできる。勿論ナンバリングしなくても、だ。
だからScrapboxで検索する度に文脈を生み出せるように、Obsidianでもできるのではないか。となるとObsidianでナンバリングするのはむしろその足かせになる。
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