実はこじんまりとした持ち家がある。
実際に住んでいる場所とは異なる。
持ち家というからにはお金は私がはらっているから、まごうことなき持ち家だ。
とても否定したくなる、まごうことなきといえるほど、私の家だ。
今や人生の呪いの場所とも言うべき場所だ。
家を設計したとき私には夢があった。
夫婦と年老いた親と同居。
大学の公衆衛生で研究の毎日。
好きな武術を家でもできる。
だから自宅に道場を作った。
しかし実際人生設計通りにはならないことが多い。
付き合っていた女と別れた。
公衆衛生学に挫折した。
京都に漢方を勉強しに赴いた。
父は死んだ。
家が、持ち家のため、そのローンの重圧に常に悩まされていた。
何年も悩んだ。これからももうしばらく悩む予定である。
今母が住んでいる。
はっきりいって、なかったことにしたい住宅だ。
無駄に巨額の金が注がれている思いが常にあった。
だから、選択肢に思い浮かぶ事が無かった。
でも思い浮かんだ。
そうだ。
自宅のこじんまりとした道場を杖道の稽古場にすれば良いではないか、と。
コメント