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杖の先に魂を乗せる

杖道

今日、杖の振り方について、改めて佐藤先生に質問を投げかけた。

引落打(ひきおとしうち)から基本の型通りに、相手の顔面を打つという型である。この引落打から片手打に至るまでの身体操作について、これまで私は多大な試行錯誤を重ねてきた。

かつては「体変換で打ち込む」「足の歩みで打ち込む」ことなどで、目に見えない動きや打撃力を得ようと心血を注いだ。その結果、確かに鬼のような速さに到達(勝手にそう思っているだけですが)したこともあった。しかし、それは決して正解ではなかったのである。もちろん、それらすべてが無駄だったと思ったことはない。その一つひとつが、私という器を形作る過程であったことは確かだ。

私の技術は、少しずつ本来の杖道の動きに近づきつつあるという実感はあった。最近では、肩甲骨の動きと小指・薬指の連動にも気づき、腕の筋力に頼らず肩甲骨主導で動くことにも取り組み始めている。だが、どうしてもあと一歩のところで、動きが完成しきらないもどかしさを感じていた。

左手で支え、右手で打ち下ろす引落打において、右半面から打ち込む際、左手の位置はほとんど変わらない。基本的には右手の操作で打っていくのだが、打撃の瞬間、右手は脱力に近い状態でなければならない。しかし、どれほど稽古を重ねても、無意識に右手に力が入ってしまう。体変換や体の捻り、あるいは指先と肩甲骨の連動を意識して技に乗せても、なお右手で「打ち込んで」しまうのだ。

混迷から抜け出すべく、再び佐藤先生に教えを請うた。手の動きとして、右手を「伸ばす」動作が必要なのは当然である。ポイントは、その始動のタイミングにあった。

動作の開始は、杖の先が相手の目前に迫ったあたりからでよい。分かってしまえば当たり前だが、それより手前から「滑らかし(すべらかし)」を始めてしまうと、杖先へ力が伝わらず、その操作は何の意味もなさなくなる。「すべらかし」は、単に相手の太刀を擦り弾くためだけに存在するのではない。打撃の威力を最大限に引き出すために存在するのだ。太刀をも弾き、そのまま相手へ打ち込む際も、この「滑らかにする」動きが肝要となる。

もちろん寸止めではあるが、常に「滑らかにする」ことを意識するのは、相手に十分な打撃力を伝えるための理にかなった動作といえる。

先生はおっしゃった。いや、もはや先生の言葉だったのか、私自身の内から出た言葉だったのか、今となっては定かではない。

「杖(じょう)の先に魂を乗せる」

その一点を意識することこそが、最大のコツである。この言葉は、先生から、あるいは私から、あるいはその場の空気から自然に紡ぎ出された。

この気づきこそが、次なるステップへ進むための、最後の一ピース——すなわち「技の統合」につながるのかもしれない。今日は大きな一歩を得たと、確かな手応えを感じている。

 

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