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九味檳榔湯は「過去の遺物」か?現代の「気滞水毒」にこそ光を当てる

漢方医学

かつて江戸から明治にかけて、日本国民を恐怖に陥れた国民病があった。「脚気(かっけ)」である。

ビタミンB1欠乏によるこの疾患に対し、当時多くの漢方家が治療に挑んだが、その中で「脚気の特効薬」として名を馳せたのが九味檳榔湯(くみびんろうとう)である。

栄養状態が改善された現代において、脚気は過去の病となった感がある。では、脚気薬である九味檳榔湯もまた、歴史の彼方に消え去るべき運命なのだろうか。

結論から言えば、否である。むしろ、現代社会の構造的欠陥が生み出す病態に対し、本方はかつてないほどの輝きを放つ可能性を秘めている。

本稿では、自身の備忘録として、経方医学的な視座から九味檳榔湯の「方意(ほうい)」を再整理し、外来診療における現代的な適応証(てきおうしょう)を書き留めておく。

檳榔への無理解と、再発見の経緯

正直に告白すれば、私自身、これまで主薬である檳榔(ビンロウ)という生薬には馴染みがなかった。過去に数回処方した経験はあるものの、当時の私の技量が未熟であったためか、著効を得るには至らなかったのである。そのため、当院の採用生薬リストからも長らく外れたままであった。

しかし先日、ふとしたきっかけで目にしたある症例報告に興味を惹かれ、改めて本方について調べ直す機会を得た。そこで紐解いてみると、その方意――経方医学的な解釈ゆえの手前勝手さはあるにせよ―が極めて示唆に富んでいることに気づかされたのである。

構造を理解すれば加減方も作りやすく、これは我々臨床家にとって、治療の武器にしておいて損はない処方であると確信するに至った。

「後世方」から「経方」的解釈への転換

九味檳榔湯は、明代の『万病回春』を原典とする、いわゆる「後世方(ごせいほう)」である。多くの生薬を複雑に組み合わせる後世方は、シンプルさを尊ぶ古方派(経方医学)からは敬遠されがちであった。

しかし、幕末の巨匠・浅田宗伯は、本方の持つ強力な「毒を去る力」を見抜き、単なる脚気薬としてではなく、心身の循環不全や自律神経症状を治す要薬として再評価した。

この視点をさらに推し進めると、九味檳榔湯の本質は「気・水・食の強制排気・排水システム」であると定義できる。

現代人の身体で起きている「渋滞」

本方がターゲットとする病態は、以下の三段階の連鎖で形成されると解釈できる。

  1. 水毒の停滞(下半身のヘドロ?化): 飲食の不摂生や運動不足により、下焦(下腹部から下肢)に重い水分が溜まる。
  2. 気機の閉塞(気滞): 水が道を塞ぐため、気が巡らなくなる。腹は張り、ガスが溜まる。
  3. 気逆と衝心(逆流): 下に降りられない気は、行き場を失って逆流(気逆)し、心肺を突き上げる。これが動悸、息切れ、不安感の正体である。

これはまさに、現代人の典型的な病態ではないだろうか。デスクワークによる下半身の鬱滞、ストレスによる過食、そして冷暖房による体温調節機能の狂い。現代人の多くは、体内に「見えない脚気」の素地を抱えていると言っても過言ではない。

九つの生薬が織りなす「下向き」のベクトル

九味檳榔湯の構造は極めて攻撃的かつ論理的である。

主役である檳榔子(ビンロウジ)は、その重みで気と水を強制的に引き下ろす「重戦車」の役割を果たす。さらに大黄が排泄のゲート(肛門)を開くことで、体内に溜まった「実邪(じつじゃ)」を物理的に排出する。

しかし、ただ下すだけでは身体は冷え、気は虚脱してしまう。

そこで、厚朴・蘇葉・陳皮・木香といった芳香理気薬が全身の気の詰まりを通し、桂枝・呉茱萸・生姜という温薬が冷えた胃腸を温めながら、逆上した気を鎮める。

「下げる力(寒)」と「温める力(熱)」が同居し、強力に回す。このダイナミズムこそが、頑固な現代病を打破する鍵となる。

現代の外来における適応証の再確認

自身の臨床において、具体的にどのような患者に九味檳榔湯を想起すべきか。「太鼓腹」「便秘傾向」「冷えのぼせ」をキーワードとして整理する。

  1. 高血圧・メタボリック症候群の「気逆」タイプ
    血圧が高く、お腹が張って苦しい。のぼせや肩こりが強く、足は冷えている。降圧剤を飲んでも自覚症状が取れない場合、本方で「気と水」を抜くことで改善が見込める。
  2. 更年期障害・自律神経失調症
    加味逍遙散が無効で、桃核承気湯では腹痛が起きるようなケース。精神的な鬱塞(気滞)と、身体的な重だるさ(水毒)が混在し、いわゆる「上熱下寒」が著しい場合に適応となる。
  3. 過敏性腸症候群(IBS)のガス型
    腹部膨満感が極めて強く、ガスが出そうで出ない。現代医学的な整腸剤では動かない強力な気滞(腹満)を、厚朴と檳榔子のコンビネーションで打破する。

結論:現代こそ「九味檳榔湯」の時代である

九味檳榔湯は、決して過去の遺物ではない。

飽食とストレスで腹満し、水毒を抱え、気が頭に昇ってイライラしている現代人。その姿は、かつての脚気患者以上に、この方剤の助けを必要としているように見える。

かつて食わず嫌いであった私自身、この強力な「理気・利水・瀉下」のシステムを新たな武器として認識し直す必要がある。

腹が張り、便が渋り、動悸がする。そうした訴えに接した際、明日からの臨床において、この「九味」の配合を直ちに想起できるよう、準備を整えておきたい。

 

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