杖道の打太刀を、少しでもリアルに近づけたくて工夫している。
他の人はともかく、私には、現状の杖道の打太刀の指導は足りないと感じている。
以前、全く違う太刀を学んだ者としては、その癖を外すためにも、より具体的な技術習得の手順が必要なのだ。
ここで一つ、はっきりと区別すべきことがある。
現代の古武道の多くは、型を「技の手順」として捉え、最初から一定の実戦的な動きをなぞっていく。
しかし、本来の古武術とはそうではない。生まれながらの「人の動き」を否定し、動きそのものを武術的に作り変えるための装置が「型」なのだ。だからこそ、古武術における初期の型は、一見すると実戦的とは言えないような動きから始まることもある。
私が「杖道は古武道である」と捉えているのは、このバックグラウンドに基づいている。杖道もまた、身体を作り変える工程が不可欠なはずだ。
しかし、現実の指導は(少なくとも太刀に関しては)、身体が既に出来上がっている前提で組まれているように思う。だから私のような者は、そのギャップに落ちこぼれるのだ。
『古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門』を広げ、模擬刀を片手に学ぶ。稽古では太刀が上手だと思われる方に教えを乞い、答え合わせをする日々だ。
前回、模擬刀の重さに翻弄され、数日間体調を崩すほどであった。
そして今回、再び重い太刀を、速さを保つことを目標に振ってみた。
すると、太刀の重さゆえに気づいたことがあった。
右手の介入が総論的に、邪魔だ。
右手の力は勿論だが、それ以外の操法としても、右手が主導しようとすること自体がノイズになる。右手はただ添えて、左手の動きを助けるように動く。これこそが、身体が書き換わる感覚なのかもしれない。
木刀に持ち変えると、途端に切れ味が強くなる気がした。
よし。週末の稽古ではこの動きを先生に見てもらおう。


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