「先生、汗がすごくて、夜も暑くて眠れないんですわ」
80代の男性、Bさんのその訴えから、私の診察は始まりました。しかし、漢方的な診察では決め手に欠け、治療方針に悩んでいたところ、基本的な問診で、Bさんには長年お世話になっているかかりつけの先生がいらっしゃることがわかりました。
(…かかりつけの先生がいるのに、なぜ、わざわざ私の所に…?)
私の心に、素朴な、しかし大きな疑問が浮かびました。
その疑問を胸に秘めつつ、私はBさんに提案しました。
「Bさんの健康状態をきちんと把握し、最善の治療を行うために、かかりあつけの〇〇先生に、これまでの治療について情報提供をお願いしてもよろしいでしょうか?」
Bさんは少し間を置いた後、「…はい、お願いします」と、やや歯切れ悪くお答えになりました。
数十分後、かかりつけの先生からFAXが届きました。
そこには、温かみのある手書きの文字で、Bさんの病歴がびっしりと綴られていました。その文字の熱量から、先生がBさんをどれほど大切に想っているかが伝わってきて、胸が熱くなりました。
そして、その手紙は、Bさんが私のクリニックを訪れた、本当の理由を解き明かしてくれたのです。
手紙には、二つの重要な事実が記されていました。
一つは、処方されていたのが高血圧などに対する西洋薬であり、Bさんが気にされている発汗や不眠に直接関わるものではなかったこと。
そして、もう一つ。より重要で、より繊細な事実が、インクの滲みと共に記されていました。
「ただし、ご本人の判断で服薬を中断されてしまうことが時々あり、気にかけております」
その一文を読んだ瞬間、すべてのピースが、パズルの最後のピースがはまるように、カチッとはまりました。
Bさんは、かかりつけの先生との関係がこじれたわけではない。むしろ、その逆。
長年、親身に診てくれた先生。その信頼に応えられず、処方された大切なお薬を自分の判断でやめてしまっている。
その**“気まずさ”**から、かかりつけ医のクリニックの扉を叩けなくなってしまったのです。
顔を合わせれば、きっと「お薬、ちゃんと飲んでますか?」と聞かれる。優しい先生だからこそ、嘘はつけない。かといって、正直に「飲んでいません」と告白するのも、申し訳なくて、怖い。
そうして、足が遠のいてしまった。
そんな中、やってきた猛暑。「暑くて眠れない」という、誰が聞いてももっともな症状は、Bさんにとって、このどうしようもない“気まずさ”から逃れ、新しい医師の元へ駆け込むための、絶好の口実となったのです。
Bさんの本当の“主訴”。
それは、症状の奥に隠された、信頼する主治医を裏切ってしまったと感じる罪悪感と、それでも誰かに助けを求めたいという切実な願いでした。
私はBさんのその想いを、ただ、静かに受け止めました。
そして、まずはお悩みの「暑さ」と「寝苦しさ」に対する漢方薬を処方しました。
この漢方薬は、症状を和らげるだけでなく、医師の診察室は「正直に話せる安全な場所だ」と感じてもらうための、私からのメッセージでもあります。
患者さんがお薬をやめてしまう裏には、様々な理由があります。私たち医師は、その結果だけを責めるのではなく、その背景にある“気まずさ”や“ためらい”に寄り添わなければなりません。
Bさんの心が少しでも軽くなり、いつかまた、長年連れ添ったかかりつけの先生の元へ、笑顔で戻れる日が来ること。あるいは、私とその先生が連携して、Bさんを支えていくこと。それが、今の私の目標です。
手書きのFAXが教えてくれたのは、一人の患者さんの複雑な胸の内と、私たち医師が、時に患者さんの「駆け込み寺」としての役割を担うことの重要性でした。
コメント