- デジタルかアナログか、それは問題ではない
よくある議論がある。「デジタルは駄目なのか」「紙のカードを木箱に入れないとZettelkastenとは呼べないのか」。あるいは、Fleeting Notes、Permanent Notes、Literature Noteといった形式さえ守れば、魔法のようにプロダクトが生まれるのか。
断言するが、違う。形式は本質ではない。
このシステムの前提は、システム自体を明確に「コミュニケーションの相手」として定義できるかにある。
「俺は対話できている!」と早合点してはいけない。ニクラス・ルーマン自身がそれについて定義しているのだ。それは、自分とZettelkastenの双方が自律性を持ち、互いに予測不可能な「驚き(Irritation)」を提供し合える関係。これが必要なのだ。
簡単に言えば、新しい永久保存メモを追加する際、既存のメモを読み返す機会が生まれ、そこに予期せぬ文脈の発見(驚き)があること。これこそがセレンディピティを生み出し、プロダクトを生み出す鍵となる(Kommunikation mit Zettelkasten p222-228, Ein Erfahrungsbericht Niklas Luhmann)。
- 思考実験:ルーマンの指先
もっと細かくシミュレーションしてみよう。
ルーマンが9万枚(実際にはZettelkasten IIの約67,000枚)のメモの海に、新しい一枚を追加するシーンだ。
彼はまず、「キーワード索引(Schlagwortregister)」という入り口に向かう。Zettelkastenには固定された目次がないため、特定のトピックにアクセスするための最小限のインデックスだ。
(※キーワード索引(Schlagwortregister):アルファベット順のキーワードに対し、1つから3つ程度の代表的なカードIDのみが記されている。例:「Complexity: 21/3d, 57/4」)
彼は索引から最も近そうなIDを選び、その物理的な「箱」へ向かう。そして、指先でカードの束を繰る(くる)のだ。
ここだ、という場所を見つけ、適切なナンバリングを施して新しいメモを滑り込ませる。この一連の動作こそが、先の「既存のメモを読み返す機会」である。
- Obsidianに「束」はあるか
では、現代のツールであるObsidianやCosenseに、その体験はあるだろうか。
バックリンク機能によって「ああ、それも繋がるよね」という発見はあるだろう。しかし、テーマから「メモの束」を手繰り寄せ、前後の文脈を読み込み、「ここだ!」と叫ぶような興奮はあるか?
なんと興味深い話の流れなのだ、という驚きと共に新規カードを差し込む。その結果、一貫したメモの束(ストリーム)が可視化され、新しいプロダクトのアウトラインが脳内に浮かび上がる——。
残念ながら、少なくとも私にとって、ObsidianやCosenseはそういう場所ではなかった。点は繋がるが、線としての「文脈の厚み」を感じ取ることが難しかったのだ。
- Google Driveへの挑戦状
私が求めているのは、単なるリンク機能ではない。「情報の束」をかき分ける感触と、そこから生まれる文脈の発見だ。
果たして、汎用的なクラウドストレージであるGoogle Driveで、この高度な「対話」と「熟成」のプロセスを再現できるだろうか。
(続く)


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