常々、私はこう考える。
杖道は、これまでに習ってきた他の武術、特にこれまでの人生後半に学ぶ武術と異なり、内部感覚が希薄である。どうも表面で動いている感じがして、内部感覚を養う拠り所がないのだ。これは私の無精、能力の低さが原因である。
昨日、都合により杖道の自主稽古ができなかった。
そこで、代わりに『古流へのいざないとしての 杖道打太刀入門』(松井健二著、体育とスポーツ出版社)を読んだ。
杖道において、太刀は上位の者であり、杖を振る側を導くという役割がある。しかし、実際には杖道であるため、杖を学ぶことがメインとなり、つい太刀の稽古がおろそかになりがちである(少なくとも私にとっては)。その結果、段位が上がるにつれ、その動きではいけないと、お叱りを受けるようになる(これも少なくとも私にとっては、である)。
まだ全てを読み込んだわけではないので何とも言えないが、この本を読んで、「ああ、確かに足の進め方や打ち込み方は、太刀、つまり刀の性質に合わせて扱うべきなのだ」ということが分かった。歩幅を開けて練習すべきという指摘には合点がいった。
また、杖は体術の性質があるという記述があった。これは私が予てから感じていたことであり、この言葉で迷いがなくなった。さらに驚くべきことに、杖道のもとの杖術は撞木(しゅもく)の運足が基本であったという。それが剣道の動きを取り入れるために、現代の型になったとのことだ。
したがって、歩幅を広げ、撞木をとり、体軸を会得した上で、杖道の型を行う際にその動きを意識するのがよい、ということになる。
そうなると、やはり本書を読み進めながら、太刀の動作を馴染ませていくのが結局手っ取り早いと感じた。歩幅をとり、太刀の動きを確かめながら、本来杖道の太刀の型にはない太刀の動きをチェックするのは、もちろん一人稽古のときだけである。
そしてふと思った。ならばいっそ、模擬刀を使おう、と。
重さは多分、真剣と同じであろう。ただ、木刀と異なり、ぶつけたら壊れてしまう。
どうせ一人稽古だ。模擬刀を使用して運足や柄の握り、振り方を学び、体内感覚を養うこととする。


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