古武術は型を変えない。
そもそも変えようとする人物を上位に置かない。独立を促するなどして排斥する。
変えない理由は、古武術の型とはヒトの動きを全くの素人から武術的な動きへ変えるための手順だからだ。
古流の柔術の多くは入門者に対してただ歩くのさえ否定するため、まずは座って相対して稽古するくらい徹底する。その座って行う手順に、ああこれは実戦的ではないと言って立位の技に改定しても、全く意味がない。
そんな型だから、正しく稽古するにつれ、体の動きが変わってしまう。古流の進んだ段階の型では、ただい手を上げ下げするのも素人のそれとは全く異なっていく。
その一方でやはり合う合わないはある。だからいつまでも同じ技を繰り返して次の技、新しいワザを習えない人たちもいた。もはや楽しむという次元ではない。
杖道はそうではない。性別年齢体格を問わず、勤むことができる。まずは一通り型を習う。うまい下手問わず、練習量すら問わず同じ技を繰り返す。型の中はなるべく事故がないように、でも杖道の手順の旨みは残しながら改訂されていく。
そもそも古武術は強くなるため強い門人を輩出するために存在する(注意:強いというのは単に相手しての格闘に限らない)。そしてついていけない者は去るしかない。杖道はそれがない。できるだけ門戸を開け放ち誰でもやったら良いよ、これだけやりやすくしたよと。いっぱい稽古してもそれほど稽古しなくてもいいよと。
だから杖道の型のみを通じて達人になるのは無理であろう。若い方ならばまだ筋力があり反射神経が残っているうちに一定強くなれるかも知れない。しかし中高年、それも実際にいらっしゃる90歳以上で稽古している方にそれは求められない。それで全く構わない。それが古武術にはない杖道の良さ、寛容さである。
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