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Zettelkastenの実践に本来Obsidianに拘る必要はない

Obsidian

 読み放題サービスKindleUnlimidedでたまたま目にした「OBSIDIANでつなげる情報管理術(Pouhon著)」に出会ってから早2ヶ月。さらに「TAKE NOTES!(ズンク・アーレンス著)」もほぼ同じ時期に出会った。これはメモ術であるZettelkasten法との出会いでもあった。そう。この二つの本に繰り返し登場する方法である。
 ZettelKasten法はドイツ社会学者ルーマン先生が活用したメモ術。30年間で58冊の出版と数百の記事を書いた。死後も書きかけの出版物もあり関係者がそれらを出版したとか。つまり情報の整理術からその想起法さらに本や記事を苦もなくプロダクトできるメソッドが含まれている。何より驚くべきことに全てアナログで完結していたことだ。
 Zettelkasten法を少し解説する。Zettelはメモを意味し、Kasten棚や箱を意味する。ルーマン先生のarchiveを見ると、まず複数の引き出しがある古めかしいキャビネットがある。その引き出しを開けるとメモの束が出てくる。そのメモを見ると手書きの、多分ドイツ語と思しき言葉が敷き詰められている。最終的に9万枚となった。
 それにしても何の前提なしにこれらを見ると、とても湯水のようにプロダクトが生まれるとは思えない。半端な上っ面だけの真似ではとても習得できない。ルーマン先生が単に天才であっただけなのか、それとも彼のインタビュー通りZettelkasten法が彼の思考そのものとなりブックメーカーへと押し上げたのか。もし前者であるのならばすぐにこの方法から離れるべきである。天才でもない自分はアンタッチャブルである。でも後者ならばと、何とかものにしたい。
 私は武術や漢方を習得するとき、全くのカラになることを務めてきた。何かを習う時にはそれまでの知識技術はなかったものとして、教えて下さる方の言う通りと考えて全てを受け入れるようにしていく。当然教える側も人間であるので、間違えはあるだろう。後年一定習得した後で指摘しても遅くはない。例えば漢方であれば、多くの流派や考え方がある。同じ方剤でもChinaと日本では処方する根拠が全くかけ離れていることがある。それを初学者はもちろん素人に毛が生えた段階で一々指摘したり反論していたら、身につかない。単に教える側のやる気を削ぐだけではない。教えを受けるときは評論家の立場ではない。実は漢方を教えてもらっている当時このような評論家のような方達にも結構出会った。結局その様な方たちは経方医学を実践するレベルには行かなかった。まずはどっぷり浸かる、疑問は呈しない、師匠が白といえば黒も白と思い込む位になると早く習得できる。少し自慢すると私は師匠に、お前は身につくのが早かったと褒められた。
 話をZettelkasten法に戻す。先の例を当てはめると、全てアナログにする覚悟ととりあえず棚を買うことになる。また、メモ書き用の多量のカードも必要だ。YouTubeを見るとそこから実践する強者もいらっしゃるようだ。いきなりで恐縮だが、私はアナログでの実践は捨てた。それは単に物理的な限界からだ。棚を買うことができる。しかし身近にそれをおくスペースが自宅、職場ともないからだ。いきなりのハンデだ。実はこの段階で少し、諦めモードになっていたこともあった。このハンデによってZettelkasten法を実践できないことが分かったらすぐにやめようと思う。
 「OBSIDIANでつなげる情報管理術(Pouhon著)」でであったZettelkasten法であった。でもアプリの一つであるObsidianには拘らずに行こうと思う。他のアプリを検索しつつ実践していく。

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