太刀落の前回返し突が奇怪だという想いがずっとモヤモヤしていた。
それは型武道のあり方を問うことでもあった。
武古術の型は生来の体の動きからその武術が求める動きへ改造していくための手順だ。過去学んだ3つの古武術が明らかにそうであった。だから型の手順がやや実戦に近いとはいえ結構かけ離れているのは当たり前だ。
では、杖道はどうだろうか。神道夢想流杖術を元に他の杖術も偏り無く取り込まれて編まれたという(全日本剣道連盟「杖道」写真解說書 杖道入門 監修=米野光太郎 編著≡松井健二p24)。
少なくとも形の手順は実戦そのものではない。近年武術から武道へ再編されたとはいえ、杖道の型はやはり身体の動きを杖道風に変えることが目的ではないか。遅まきながら少しこだわりを持って練習し始めてその様に感じ始めている。
とは言うものの、私には杖道風とは何かという部分はまだよく分からない。しかし、ここで思いつくのは2つだ。一つはお互い相手を見て発動する。そしてもうlつは打つまり太刀側は杖より上段者であり、それ故に仕つまり杖側を導いていく立場だということだ。特に後者は私が勝手に言っていることではない。普段の稽古でもその立場関係にあることを根拠に技の説明をする。あるいは礼の、頭を先に下げる、後に戻すなどこだわる。
これらの視点からもう一度太刀落にみる返し突きを見直してみる。
繰付を解除した後、太刀は杖より一旦解放される。
解放された太刀は太刀を切ろうとする。まだ参ったをしていないからだ。
私が太刀ならば右前になっている杖に対して太刀を上に回しつつ身体を杖側の左に周りながら杖側右前腕のいずこかを打ち込むだろう。杖の技術が分からず相手の視界側にはとても行けない。一旦自分が制されたわけだし。
ならば自分が杖の側ならどうか。やはり繰付た後は即突きなど打撃を打ち込む。それは形の3番目引提や7番目の霞で繰付を解除後突きを打ち込むことから間違えではないことが分かる。
身体の体を変換することで太刀を打ち込まれるか可能性が格段に上がる。しかし敢えてそれを手順に組み込んでいる。これを成り立たせるには単に早く動作すれば良いわけではない。
相手に気配を気取られないような見えない動き。体変換中に太刀に打たれるいくつかの想定でも対応できる臨機応変さが必要である。
見えない動きを作り上げる手順が杖道の形の中にあるとすれば、まだ私には見出してはいない。だとすればどのようにも対応できる臨機応変さを工夫するしかない。
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